8月1日

転職してまるまる7ヶ月。8月1日付で正社員になりました。

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民主党テレビCM女性の味方編「夢は正社員になること!」が女性をバカにしていると話題により

昨年この画像が話題になったときにはさすがにうっ…と思うところがありましたが、今日言いたいのはそういうことではない。

試用的な期間が終わるとか、契約社員から正社員になること自体とかそういう話でもなく、僕がこのステータス変更に持たせた意味がとても大事なので書かずにはいられないのです。

契約社員スタートとしての「転職」

2015年1月1日、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きはじめました。

ただ、働き始めたと言っても制約つき。契約期間は1ヶ月。1ヶ月経った時点でその後の処遇を判断。

そんな条件でのオファーを受け取ったのは2014年10月末のこと。

正直迷いはありました。

・成果が出ないとさよならってこと…?
・自分がそういうステータスであることを自分は受け入れられるのか…?
・親にこれはさすがに言えない…
・いくら未経験って言ってもなんか安売り感があって嫌だ…

何でもやります!内定ハッピーハッピー!と口先では言いつつも、手放しでは喜べない。でもそう思ったのも実際は束の間で、これはある意味自分が目立つチャンス(つよがり込み)と思い、方手放しくらいで歓喜しました。

・成果が出ないとさよならってこと…?
→なんてスリリングなんや!それまでぬくぬくレールに乗ってきただけに、一歩踏み外せばアウト的なの乗り越えたときの自分、かっこいいうぇーい!
・自分がそういうステータスであることを自分は受け入れられるのか…?
→(主に親世代とか一般的な就活を通ってきたような層にっとての)ブランドや待遇(主に給与、もらえるにこしたことはないけどそれより得たいものに出会えた)より価値を置いたものは何だったのか。それはエンジニアとしてバリバリコード書いて、自分が支えたい人を自分もプレイヤーとして支えること。ステータス云々にこだわるのは人生の無駄。
・親にこれはさすがに言えない…
→言わない。
・いくら未経験って言ってもなんか安売り感があって嫌だ
→たいていプライドの向こうに自分の得たいものがあるのでプライドにこだわるのは人生の無駄。

そして何よりも。職業としてはじめてやるエンジニアという仕事。やるなら突き抜けたいけど、とても好きだけど、ぶっちゃけ伸びるかわからない。やってみないとわからない。

ならやってみよう。この程度のハードル越えられないなら何やってもどうせできひんねんから。いくらでもハードル設けてくれ!!

更に、
・IVS界隈のスタートアップで働けること
・最初はバイトでもいいと覚悟していたこと
・創業2年のスタートアップにも関わらず教育投資してくれること
等もあり、他社の選考は内定時点で完全に辞退しました。

色々な会社を見るのも新卒就活時とまた違った楽しみがあるものの、自分がフォーカスすべきはそこではない。

1ヶ月経過。待っていたものは…

入社以前にも課題に取り組み、悲壮な顔をした正月を過ごし、とうとう入社。

駄菓子菓子、入社3日目。あまりにもコードが書けず、このままでは…という面談。週末にも同様の趣旨を定例MTGで言い渡される。

趣味でコードを書くのと職業でやるのはそりゃ違うやろ。前進あるのみ!

とは思うものの、入社1ヶ月 + 1日目が来ない夢をたくさん見ました。

そして1ヶ月が経とうとした頃、面談。

お、とうとう正社員登用かと思いきや、

次の契約期間は6ヶ月。他のエンジニアと同じく戦力になれるくらいに。また契約期間末で判断というお話に。

もはやこういうとき、どんな顔すればいいのかわからない状態です。

定量的な基準ではなかったものの(なかったからこそ余計に情状酌量的な余地はあったはずなのに)、成長速度的なものからの「コイツはヨソへやってはいけない!」という強烈な焦燥感だったり、「不完全であるにせよ、短期間でこんな成果出すなんて…」みたいなインパクトだったりを感じさせることができなかったわけです。

少し余談。その数日前、2月からの体制図に自分の名前が無くて泣きそうになりました。

自分やっぱ甘いなぁと。

駄菓子菓子、ないのもそのはず。そのときから僕の名前はNyanchuと表記されるようになったのです。

苗字も名前も被ってしまう人たくさんいますゆえ…

異動

いくつかの調査だったり、リリースだったりを経て迎えた4月。

エンジニアの人何人かが僕を囲んでアドバイスをくれるという会が発足。

コードは少しずつ書けるようになってきたというフィードバックをもらってほっとしたのも束の間。それ以前の働き方そのもの指摘が入り、しかも内容が5年とか10年とかのスパンで負い目を感じていることでした。

当然改善。が、次のフィードバックの結果の詳細はさておき、まとめると別のチームで頑張ったらより結果を出せるのではというもの。結果的には1月末と似たような思いをすることになりました。

そこから2週間弱というもの、社内の色んな人を1人1人捕まえてランチに付き合ってもらい、いろいろと話を聞かせてもらったり聞いてもらったりで考えを整理しました。

その最中の社内イベントの幹事でけっこう酷だなぁと思うこともありました。

7月の社内合宿の企画なんかは、企画だけして実施の頃には最悪自分いないのでは…何やってるんだ自分は…みたいなことを思う時期もありました。

駄菓子菓子、社内イベント類の幹事だったり、5月頃?に拝命した全社的な朝会の司会だったりは非エンジニア要素ではあるものの、大事な要素だったように思います。これについてはまたいつか。

6月、そして8月

紆余曲折を経て前述とはまた別のチームでの開発が始まりました。

そういう系ではもう動じない気がしました。

それまでとはまた別の技術に四苦八苦しながらも少しずつキャッチアップし、6月下旬の面談では8月から正社員というお話が…

当初の要件の「他のエンジニアと同等の戦力」だなんて酔っ払っても絶対に言えないです。駄菓子菓子、技術の絶対値以外に認めてもらえる要素があるならそれは自覚的に大事にすべきだし、持ち味になるまで育てたい。

そして、これまた何度も見た契約期間1ヶ月 + 6ヶ月を越えられない夢を打ち砕けたのは未経験の僕にチャンスを与え、ありえないほどのコストを割き、レビューし、アドバイスし、育ててくださった社内外のみなさまのおかげ以外の何物でもないです。全力で感謝して、胸をはって8月からのエンジニア生活を送りたいです。

過度に自己肯定感を下げた風でいるのは支えてくださった方々に失礼。

でもやっぱり

成長足りてないというか、方向定まってないというか…ちょっと前まで1日、1週間が一瞬だったのに最近そうでもないのも気になる。

そもそもコードを書くこと自体楽しいし、会社は楽しいし好きだし(吊り橋効果経た感もある)、とりあえず何をやっても楽しい!箸が転げても面白い!みたいなところがあります。

けど、エンジニアにも色々タイプがあると思うし(技術的分野でなくて性格とか人との関わり方とか)、チームもいろいろあるし、技術・分担もいろいろあるし、価値を届ける先もいろいろあるし、当然何をやるにしても突き抜けたいしそうでないならやらない方がまし。

その中で日々焦点定まらずふわっとしているのは相当もやもやするし、何でも引き受けるにせよ自分にとっての意味づけはやるべきだし、入社半年時点で書いた記事の

結果を求める手段としての技術との距離感を測りかねています。

というのは根深い気がする。そしてその記事上で「やるべきこと」として書いてることは正しい気がして実践しているものの徹底できていない。

あと、これ読んだり、先人の方々の姿勢を見ていると「勉強する!」みたいなスタンスほんと間違ってるんやなと思う。

だからこそ社内外で来ているオファーやり遂げたい。

何はともあれ

できてないと思うことのが多いけど、できたこともある。

入社初日にダルマに込めた目標(ねがい)は1つ達成できたので静かに目を入れてやりたい。

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次の目標が退屈そうな顔して待ってる。

We' re hiring!

trippieceのCEO、石田言行(いしだ いあん)が本を書いたと聞いて、本くださいとお願いしました笑

というわけで扱い的には生まれて初めての献本。

僕はこの本で言う2012年2月の「trippiece」の成功を決定付けた旅からのユーザで、その体験があまりに刺激的で、鮮明で、楽しくて海外旅行に行くようになったユーザだ。

なので、この本でもメインテーマとして描かれている名前の由来(とそこから導かれる信念のようなもの)は直接聞いたりブログ()で読んだりしてた。

それでもやっぱり知らないことがたくさんあって、ユーザには見せず乗り越えてきたたくさんのことや思いに触れて、本の向こう側にある心境を覗いてみると自然と目頭が熱くなってきた。

そういう本を紹介するとなると過剰に力んでしまってうまく言葉にできないかもしれない。

だから最初に結論を書いてしまうと、20代は負けでいい。新しいことに挑戦し続けよう。多くの人にとってたりない才能とは「高い目標を立て努力を続ける才能」で才能を埋めるための魔法のような言葉が「言行一致」であるということ。

僕が書いたところで文脈が全然違うものになってしまうが、石田言行がどんな男で、どんな思い出、どんなことを成し遂げてきてきたのか。それを知りながら読み進めれば上の言葉はきっとあなたの胸に響き、挑戦しなかった過去を悔い、新たな一歩を踏み出すことになるでしょう。

紹介はここまで!後は本の内容を紹介しつつ、自分が感じたことなどを書いていきます。

trippieceのこと

最初に触れた通り、僕は2012年、trippiece2周年直前くらいからのユーザです。

初めての旅がペルー・ボリビア1週間の旅。

5年間の大学生活の終わり、卒業旅行。どっかめっちゃ遠いとこ行きたい!と思っていたらtwitterでtrippieceとかいうところが40数万円で南米まで連れてってくれると。

でもヤバい!締め切り翌日!夏に親に借金して留学行ったばかりで貸してとか言えないし、1日で40数万円どうやって集めよう…という嘘のようなホントの話がスタートでした。

そのときのブログ(旧)、1日目。

trippieceで行くペルー・ボリビア11日間の旅 ~1日目 豚になったような気分~

言行のブログにも伝説の社畜を目指すすぎちゃんとして紹介されている…笑

このツアーは2回に分かれて行われ、僕はたまたま言行と一緒の組でした。

学生とは思えない落ち着き、交渉力、しかも社長!?この人すげーと思いながらただただお世話になりました。

どんな思い出そこにいたのか、知る由もなかった…

ちょうどその旅のこと、鮮やかに本に描かれてたのでそのまま載っけます。

 参加者は34人。初めて「trippiece」として20人以上を集客することができた。34人を2つのグループに分け、ひとつに僕が参加し、もうひとつのグループにブラジル・スペインに留学経験のある友達とチリで育った友達が参加してくれることになった。

約2週間を見ず知らずの人たちと過ごすことになる。成田空港に5時間前に入り、ドキドキしながらほかの参加者を待っていたのをよく覚えている。ましてや行ったことのない南米だ。

アメリカを経由し、ペルーのリマまでほぼ丸1日。アメリカのトランジットで時間がギリギリになり、ダッシュするトラブルがありつつも、リマに着いた。到着した日はすでに遅かったため、ホテルにチェックインをして就寝。早朝に眠い目をこすりながら、マチュピチュに行くためにクスコという街へ飛行機で向かう。1時間ちょっとも経つと、険しい山々の合間に、街が出てきた。上空から見ても、きれいな街並みだった。クスコはインカ帝国の首都で、世界遺にも登録されている街である。特に、夜の街灯が照らす街の景色は最高にキレイだった。

次の日、いよいよマチュピチュに向かう。インカレイルという列車の駅があるオリャンタイタンボという街まで四駆で1時間半くらい荒れた道を走る。みんなは連日の疲れで爆睡。寝ているうちに、オリャンタイタンボ駅まで辿り着いた。
駅に着くと、マチュピチュに向かう人たちで賑やかだった。日本人も少なくはない。全体の2割くらいが日本人だった。さすが、行ってみたい世界遺産ナンバーワンを獲り続けているだけはある。
インカレイルは予想以上にきれいだった。列車の屋根もビスタドームといって、一部がガラスになっていて、360度の景色を楽しむことができた。車窓から見える渓谷や行商やトレイルをしている旅人たち。約2時間の鉄道の旅は、みんなでお菓子を食べて、お酒を飲みながら過ごしていたらすぐに過ぎていった。マチュピチュが近づいてきた。
マチュピチュ村に着く。もっとなにもないところかと勝手に想像していたが、こじんまりとはしているものの観光客向けにたくさんのショップが並んでいた。マチュピチュには、麓の村からさらにバスで30分ほどかかる。落ちないかとヒヤヒヤする、バス2台分の幅もない道を登っていく。思わず手すりを強くにぎる。

次の瞬間、マチュピチュの姿が見えてきた。見えた瞬間、バス中に歓声が沸き上がった。頂上に着き、入り口をとおると、インカ帝国の遺跡が目の前に広がっていた。写真で何百回と見たマチュピチュが広がっていた。
クスコの街並みにもすごく感動を覚えたが、マチュピチュはここまで来た苦労も重なり、感動は倍加した。みんなが思い思いに写真を撮った。

そして、この旅の終わり。数日後、「死ぬまでにいきたい絶景」として名高い、ボリビアのウユニ塩湖に辿り着いた。待ちに待った絶景が目の前に広がり、涙する。各々、旅行前に考えていたポーズで写真を撮る。美しい景色がどんな写真をも見事な1枚にする。
この1年の苦労が報われた気がした。自分のサービスを使って、地球の裏側まで、ユーザーと一緒に行って、こんなに楽しむことができるという幸せに浸った。
ちなみに前の日程で出発したもうひとつのグループは、僕の参加しない初めての海外ツアーになった。正直、集まってうれしい以上に、なにか起こったらどうしようと不安ばかりが募っていた。
しかし、心配は杞憂に過ぎなかった。多少のトラブルはあれど、12日間の旅が無事終わった報告を受けた。twitterで「 trippiece」と検索すると、「旅はだれと行くかだね。めちゃくちゃ楽しかった。どうにかなってしまいそうでした」「みんなで共有できたことがなにより最高だった」といった感想にあふれていた。
それまで、耐えに耐えてきた想いがあったのだろう。気づけば頬には涙がつたっていた。しばらく、涙ばかりがあふれてきた。ここまで起業して約1年。うまくいかないことばかりだった。僕の伝えたいことが伝わって本当にうれしかった。

この直後に書いてある、「もっとも大事なことは、目にした絶景ではなく、だれかと共有し、感動した体験なのだ」という言葉。ここにtrippieceの魅力が凝縮されていると思います。

初めてではあれ、同じ目的を持っていた人が集まり、旅へと出かける。

初めましてで始まり、また飲もうなで終わる旅。

絶景はもちろん素晴らしい。一人旅も悪くない。それ以上に常にハイでいられる仲間と乗り越えていくトラブル笑とか、そういうよくわからんものが何より楽しい。

僕は高まると文章を書きたくなるので、毎晩毎晩ブログ書いていました。

人生の中でも最高級の旅の思い出でした。

そういう旅ばかりと思いきや、バンジージャンプ、スカイダイビング、カラーラン(にみんなで一緒に行く)等々、1日から気軽に参加できるアクティビティも充実しています。

trippiece
RETRIP

言行のこと

そんなtrippieceを率いる石田言行(いあん)。誰もが最初は変わった名前やな〜と思うと思うんです。

そこに込められた並々ならぬ想いに触れると名前が愛おしくなります笑

" target="_blank">ブログの方から拝借。

言行へ

 パパとママは、キミがどのような思いをこめて「言行」と名付けたのか。将来、これを読んでくれることを楽しみにして、生まれたてのキミに書き記すことにしました。
 キミの名前は、パパがつけました。それは、キミがまだおなかにいるときに、生まれてくる子が男の子だったらパパが、女の子だったらママが名前をつけようと決めていたからです。(ちなみにママは、女の子が生まれたら「未来」(みく)と名付けるつもりだったようです)(パパは、絶対に男の子が生まれてくる、と確信していましたし、熱望していたのです)
 では、パパが「言行」と名付けた理由をこれから話しましょう。パパはまず、名前を考えるにあたって、3つの基準を持っていました。それは、

①とにかく人と違う名前であること(いうまでもなく、名前はいちばんの個性ですから、目立つほうがいいと思っていました)②外国人も呼びやすい、インターナショナル名前であること(キミが外国にいったときに覚えてもらいやすいように)③そして、名前に意味があること(単なる当て字や語呂合わせで意味のないものだけは避けようと思っていました)
 以上の3点です。

 そして、これらの基準は別にして、パパは、男だったらこうなってほしいな、という理想像を頭に描いていました。それは、“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。実は、キミの名前が決まってのは、この“男の理想像”を考えていたときでした。
 ふと頭の中に、とつぜん、パパが子供のころに好きだったテレビ映画『0011/ナポレオン・ソロ』のふたりの主演俳優―ロバート・ボーンとデビッド・マッカラムの顔が浮かんだのです。そして、このふたりの俳優を思い出した次の瞬間に、キミの名前は決まりました。
 「イアン・フレミング・・・・・・。そうだ、イアンがいい!!」 イアン・フレミングというのは、イギリス人の作家で『0011~』をはじめ、有名な『007シリーズ』の原作者です。
 『0011~』は、パパが3~4歳のころにやっていた作品です。なぜそんな幼いときの記憶があるかといえば、それはきっと、パパとパパのママが、当時ブームだった秘密情報員(要するにスパイ)が登場するテレビや映画が大好きで、一緒にみていたせいでしょう。だからこそ、イアン・フレミングという名前がすぐに思い出せたのだと思います。

 イアン―――いあん。瞬間的に、名前はこれしかないと思いました。
 名前をつける基準と照らし合わせてみても、①の“人と違う名前”も②の“インターナショナルな名前”もクリアーしています。
 なにより、パパが願う“理想像”としても、イアン・フレミングが自分の作品に描く男は『0011~』に登場するソロ、イリヤ・クリヤキン、『007』のジェームズ・ボンド――いずれも“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。
 こうして、「言行」という名前は、はじめに文字からではなく、「いあん」という音が先に決まりました。そしてその次に残る基準の④を満たす“名前に意味がある”文字を考えたのです。

 「言行」は「言」を「い」と読むのも、「行」を「あん」と読むのも、どの国語辞典を探しても載っていないと思います。しかし、どちらも当用漢字ですから、「言う」、「行脚」、「行燈」などと一般的に使われているように、決して無理な読みかたではありません。
 でも、パパにとっては、辞典に載っていようといまいと、「言」を「言葉」として、「行」を「行動」という言葉の意味として、それぞれの文字が必要だったのです。
 つまり、「言行」という名前は、「言葉と行動」という、パパが最も重要だと思っていることを、ひとことで表したものなのです。

 「言葉」について――。
 いうまでもなく、人間は、たったひとりの力では誰も生きてはいけません。毎日の食べるものも、着るものも、勉強することも、スポーツを楽しむことさえも、他人の助けを得なければ生活することのできない生き物なのです。そのために、人間には、地球上の動物で唯一“言葉”を話す(会話)という能力ができたのです。
 ですから、言行には、自分を支えてくれるすべての人との会話を大切にしてほしい。
 会話によって、キミが相手に助けられることもあれば、キミが相手を助けることだってあるのです。相手が黙っていたら、キミはその相手を理解できないのと同じように、自分が言葉を発して意志を伝えれば、相手はキミの存在を確認してくれる、ということです。
 要は、間違ったり、失敗することをおそれずに、キミの心の内を言葉として話してほしいのです。

 「行動」について――。
 パパの座右の銘は、“前進なくして進歩なし。命をかければなんでもできる”というものです。これは、パパのパパから学んだ石田家の“座右の銘”でもあります。パパは、うまく事が運ばない時や、悲しい時など、いろいろな壁につきあたった時に、この言葉を思い出しては心の励みにしてました。
 人間の心というものは、このような悩んでいる時には停滞しているのです。だから、何かを解決した、とか、壁を抜けだしたい、と思ったら、前へ前へ、と前進するのが、いちばんの方法なのです。そして、ひたすら努力をする。
 人間、命をかけるほど努力をすれば、できないことはなにもありません。もしできないことがあったとすれば、それはまだまだ努力が足りない、ということなのです。
 これは、簡単にはいえますが、実際はものすごくつらく、大変なことです。努力しないことへの言いわけは、自分自身でいくらでもつくれますから。でも、結果がすべて自分に還ってくるのも“前進”と“努力”です。
 言行も、いつか壁につきあたったら、この言葉を思い出してください。そして、とにかく行動しつづけることを忘れないでください

一九八九(平成元)年九月二十四日 記

変わった名前であるがゆえに小頃にはからかわれたり嫌なこともあったようですが、この上ないルーツ。

名前負けしてないとは端から見た感想で、本人はまだまだと思ってるっぽい。

いい意味で読者への挑戦的なメッセージが多いけど、その度に自分はそう言う資格があるかわからないけど的な入りで、それは群衆向けの言葉ゆえの配慮なのかもしれないけど、そういう面なんか彼らしくてニヤニヤしてしまいました笑

新しいことに挑戦し続けるということ

全体的にこの「新しいことに挑戦し続けるということ」に対して畳み掛けてくる。

これでもかってくらい笑

でも、それは自信の経験から出た言葉であったり、家族の思い出あったり、大学の恩師や先輩の言葉であったり、先輩起業家の言葉であったり、過去の偉人の言葉であったり。

でもやっぱり、言行自信のこの言葉が一番響くのでやっぱり引用したい。

今、どれだけあなたが負け続けていたとしてもかまわない。「大言」を掲げ、黙々と「実行」していくことを諦めなければ、起業家にだって、一流にだって、なににだってなれる。最後には、勝てる。負け続けている僕自信も、そう信じている。
 多くの人にとって、足りない才能とは、「高い目標を立て努力を続ける才能」だと思う。そして、その才能を埋める魔法のような言葉が「言行一致」という言葉なのだ。

これだ。ほんとにこれだ。

人生はなにもしなければ、当たり前だがなにもない。つまり、意味付けしなければ、無目的なのが人生だ。

人生を賭けるのに値するのは夢だけだ

僕は転職して、小さい頃言ってたのと全然違う、大学の専攻とも微塵もかすらないプログラマーになった。

サービス自らの手で生み出すエンジニアかっこいい!俺も何か作って世界変えてやんよへへん!みたいな思いからだ。

とはいえ、最近は中高生でも尖ったプログラマーは相当数いるし、基礎・学のあるプログラマーとかインターンでも足元に及ばない…

そんな中思っていたよりも成長が速くないし、仕事でやる以上優先すべきこと(分野)もあるし、けっこうしょっぱい。不安にもなる。

それでもどうにかしてやるという勇気が湧きました。

無難に着地させようとしたら失敗もないのかもしれないけど、成功もない、なんでもないような20代を終えてしまう。

小説を読みました。

内容にも触れてます、お気をつけて。

パラレルワールド系恋愛小説。

電車の時間は大体技術書を読む、読まざるを得ない、読みたい。

ただ、電車の乗り換えの関係で1駅しか乗らない短い時間、寝る前は技術書じゃない本を読む。

前置き

ゴールデンウィークには森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』を読んだ。

{ 先輩: ♂, 後輩: ♀ }の2人の主人公の視点で交互に繰り広げられるこの小説も恋愛調節なのだが、先輩の必死さ、後輩の無邪気さ、舞台である京都の雰囲気、コミカルさ、想像上の視覚の色鮮やかさ、そして何よりも最後に包まれるほっこりとした雰囲気に改めてたまに小説もいいなぁと思った。

はじめて森見登美彦さんのは大学生の頃で『太陽の塔』というお話。

当時ものすごい失恋をして、半年くらい立ち直れなかった気がする、そんな状況で読んだら吹っ切れられたような気がする、そしてこの作者ふられた人に教えてもらった気がする。

どこまでも面倒見がいい。

恋愛とか恋とかのなんかこうきゅっとなる、そういう世界から遠のいていただけに、夜は短しは久々にグッときた。

次なに読もう?

そう思った矢先、Facebookでこの本のリンクをはっている方がいらっしゃったので何となく買ってみた。

最後のページにはこう。

京都の美大に通うぼくが一目惚れした女の子。高嶺の花に見えた彼女に意を決して声をかけ、交際にこぎつけた。気配り上手でさびしがりやな彼女には、ぼくが想像もできなかった大きな秘密が隠されていてーー。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」奇跡の運命で結ばれた二人を描く、甘く切ない恋愛小説。彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み直したくなる。

いかにもな感じ。

これ、オチ言ってるやん…秘密知った上で読んだら、読み直すも何もないやん…

そう思いながらページをめくり始めた。

最後の方にはもう大体枕に顔うずめて泣いていた。

最初から読み直すことはないけど、最初から読み直したくなった。

一目惚れした女の子は時間が逆に流れる別世界から来た人。話は互いに20才のときに繰り広げられるが、5年経つと{ 男の子: 25歳, 女の子: 15歳 }になる。

女の子の世界は時間が反対に流れるので、女の子には男の子にとっての未来のことしか記憶にない。だから男の子は明日、昨日のきみとデートする。

女の子はこちらの世界に5年に1度、40日間しか滞在できない。

男の子が女の子に意を決して話しかける日こそが女の子にとってのこちらの世界最後の日になる。

男の子が初めて手を握るとき、初めて呼び捨てにするとき…男の子にとってのその1つ1つは女の子にとっての最後でその度に泣く。男の子は女の子がおき忘れた日付が逆さに進んで行く手帳を見つけ、知ることになる。

ふたりの歴史を壊さないために、別れる日に男の子が女の子に40日間すべてのことを話すことを。

そして女の子はその筋書き通りの行動をとることを。

男の子はそれを「演技」だとして一度は愕然とするものの、お互い思いやりは強く…というお話。

「演技」の奥にある、「演技」をしても守りたいもの。大切な相手を愛おしく思う気持ち。限りあるとわかった上で歩んで行く1日、また1日。

そのどれもが綺麗で切なくて儚くて、中くらいの大人が泣いてしまった…。

恋愛という文脈ではないですが、恋愛という文脈ではないですが、恋愛という文脈ではないですが、最近ルームシェアとかしてるといろいろ感じるんですよ。

ただただそこにいる人が「大切」であるという感覚。

自分が引きこもりたいような気持ちのときとか、イライラしているときとかは当然あってむすっとした感じになっているときはあるけども、そんなときですらなんとなく大丈夫だと思えてしまう強さ。

を勝手ながらもらえる。

シェアは一応2年という契約期間があって、それが気持ちに拍車をかけている面もあるのかもしれない。

それでも大学で東京に出てきて以来の一人暮らしをやめ、人と生活するというのは、人として持っていたい感情に気づかせてもらえた尊い経験のような気がする。

小説の話、文脈に戻ると、「演技」から伝わってくる相手を思いやる気持ちがほんとに胸に響いた。

そういうときは無性に文章を書きたくなる。

思いの象徴としての行動は簡単にとれる。仕事でも何でも、仮に気持ちはなくても、気持ちがあるように態度で示せる。

けど、真意として何を守るための行動かで世界の中でその行動が持つ意味は全然違う。

この文脈でこの記事ほんとに出したくないけど、こういうことでもある。

LINE(株)CEOを退任した森川亮氏が明かす!「優秀な人」ほど喧嘩をしない理由

思いを見つめながら生きていきたい。

SIerの営業をやめ、職業としてプログラミングに携わるようになって半年が経ちました。

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SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます

転職して3ヶ月が経ちました。もっと速く修正したい。

いや、経ってしまったとか、経たれた(受け身)とか、そういう感じです。

半年経って何ができるようになって、何ができるようになってるはずだったのにできてないんでしょう。

近況報告

まだ働かせてもらってます。

タスクの期限に間に合わなかったり、思うように価値を生み出せなかったりする度に明日自分はこの会社にいるのだろうか…なんてよく思ってましたが、その辺の心配はもう少ししたらいらなくなりそうです。

その部分は改めて来月くらいに。

6月の2週目から新しいチームで開発しています。

最初の1ヶ月を冷や汗かきながら過ごしたチーム、いよいよ会計に関わる部分に携わったチームに引き続き3チーム目です。

組織の形は会社が大きくなったり、集中すべき部分が新しくなったりするタイミングで最適なもの(を模索しつつ)変わり、人は柔軟に動く。

前の会社では配属以来2年以上ずっと全く同じ(周りは変わりつつ…)プロジェクトだったのでコントラストがすごいですが、もはや何にも動じなくなってきました。

もう何でもやります、喜んで!みたいな感じです。

最初は変化に対して、これからどうなっていくんだろう…みたいなことは多少は思うものの束の間で、行く先にはチャンスしかないことを知る。

まだまだ改良の余地があったり、仕組みが整備途上のものだったり、自分がやり遂げることですごい喜ぶ人がいる。

「もう何でもやります、喜んで!」という言葉は別にそう思ってなくても言えるし、本心でいつかそう言えたらな、みたいな思い出無理無理口にすることがずっとずっと前にはあったかもしれないけれど、今は本心で言えるなぁなんて思います。

フォーカスすべきこと

何でもやるし、誰でも人が喜んでくれたらそれはとても素晴らしいです。

大事なのは、最終的に生み出される価値です。

駄菓子菓子、やっぱり、何でもよくないと思っているし、誰でもよくないと思っているのだと思います。

ただ、それが合理的にであり得るのは、そういう選り好みをすることによって人がより喜び、その喜びと自分(たち)の手段がよく結びついているときだけです。

リスクをとって価値ある大きな挑戦をしようとしている人を自分も一プレイヤーとして支えたい。プレイヤーとしてはエンジニアとしていられたら最高。みたいな感じです。

この自分の核のようなものは本心も含まれているのだろうし、判断基準がほしくて半ば強引に標語化しているところもあるだろうし、脆い。

特に「エンジニアとして」の意図するところが曖昧すぎて大事な部分ですごく判断がぶれています。

というのは、自分の思うエンジニアとしての行為が思ったより発達が遅い負い目のようなものがきっとあること、そもそもエンジニアとしての行為に対する思想な未熟なことがあるのだろうと思っています。

エンジニアって何?技術って何?

エンジニアとして生きる!なんて言うものの、プログラミングは没頭出来てめっちゃ楽しい!くらいの感覚しかないたぶん。

それでも、求める結果を得るための手段自体が没頭できるものであれば、最終的にその手段で生み出せる結果が他の手段でやるよりも高くなると期待している。

期待しているというか、わからないので試しているという状況です。

好きなことやってる方が生命としていきいきしているし、直感的に成果は高くなる気がする。けどそれは直感でしかない。

ただ、それを手段とする、と言っても
・その手段で何をやるのか(アプリを作る、インフラを支える、テスト体制を作る、エンジニアの生産性を高める)
・どの程度頼るのか(ツール作る程度、コードで息をする、運用でカバー、ドキュメントや会話でカバー)

とか、やることなすことものすごい変わる気がする。

今自分は駆け出しだし、とは言え半年でこれというのはちょっと出直してきた方がいい気もするし、人と話すのもドキュメント(文章)を書くのもすごい好きだし、意識しなければコードバリバリ書けてハックできる人、には絶対ならないと思う。

それでいいのか?それでも人が喜べばいいのか?

結果を求める手段としての技術との距離感を測りかねています。

単に技術技術ーと言っていても厳しそうなのは下の記事を読むと如実に感じます。

まつもとゆきひろ氏が「生涯プログラマー」でやっていきたい若手に贈る3つの言葉【特集:エンジニア育成の本質】

さらに、「プレイヤーとして生き残るために必要な3つのこと」読めば技術技術ーとかでわけわからなくならないだろうし、本来の目的だったり、そもそも解決したいものは何か、解決することで人はどうなるのかにフォーカスすることがよさそうというのが伝わってきます。

その上で新しいことはそつなく使いこなして、前提としてコンピュータサイエンスやれと。

コンピュータサイエンスって何の捻りもなく何だろう!!!

自分がフォーカスすべきこと

以上を踏まえて自分がとるべきスタンスを考えると、
・まずはどうあってほしいかを考える
・それを達成するための手段を選ぶ基準として、「今はやや技術に重みをつけて」考える。安易に「ドキュメント書けばなんとかなる!」とか、「根性でなんとかする!」とかしない。
・基礎なるものを身につける。やってるときに焦らない焦らないって10回言う。
・そのときそのときの中核技術をとことんやる。たとえばselenium使うならseleniumラップしたメソッド使うだけでなくで、そもそも何で生まれたのか、どういう実装があるのか、とかまでたどる。

みたいなのがいいと思いました。

技術だけで生きるなんて言えないし、技術だけで生きるのは幻想なんて言ってたら技術身につかなさそうだし、今は多少遅くなっても技術力を高めるべき。

悩むのおしまい。

今年の目標

毎年設定してるはずなのに、今年はしてない。きっとする余裕なかったんやと思う。

そう思いつつも、きっと会社の一員(少なくとも形式的な)として認められることだけ考えていたはず。

次は「これ主に自分が技術駆使してやりとげました!」みたいなのを新しく作るというのをやりたい。

闘争は続く。

今日ほんまあかんわ。そう思って昼過ぎまでボケっとしていた。たまにはそういうのもいいのかもしれない。

そんな日は音楽に浸る。

最近引っ張り出してきたキーボードはイヤホン繋げるので打鍵音くらいしか漏れないし、聴くのは聴くので気持ちいい。

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いつもはですます調で書くけども、それは文章と自分との距離感を保つためで、人に読んでもらう文章をそうであると意識しながら書くため。今日は思うところに より近い言葉で文章を書きたい。
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音楽を長いこと続けている。3才くらいにピアノを習い始めてから、ブランクのようなものや、楽器が変わったり変遷を経て、働き始めたら演奏はやめるかなぁと思ったりしても、それでも日常の中に音楽があり、その音楽のほんの一部を楽器で、自分の手で、自分の声で、けれども人の言葉で続けている。

なぜだろう。

学生のときに入っていらサークルがなんでどうしてなんのためみたいなのがうるさかったので、それを音楽に引っ張ってきて考えることもあった。

mixiとかの日記でも残ってると思う。

そのときはそのときなりに形にしてるんやろうけど、きっと腑には落ちてない。落ちたことにはしている。

今日、先に音楽を続けるということなんてタイトルを先につけて書き始めたものの、着地点は全く見えてない。

だから小見出しはないし、結論的なものはないまま文章が終わってしまうかもしれない。

それでも、自分が飽きっぽいということは置いておいて、20年以上物事を続けるのには何があるのか純粋に面白いのでぐだぐだ書いてみたくなった。

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今日はミスチルの写真展に行ってきた。

20150614

ミスチルの写真展て…

ライブを観る、音楽を聴く。その対象が写真になったところで見に行くことに何の意味があるんやろう。

そう思いながらも、1日中家の中にいるのもなんか癪なので取り敢えず唾棄すべき山手線に乗った。

実際に写真撮った人が会場に来ているらしい。自分にとってはそれほど重要ではない情報だった。

会場を廻ってみると、ライブだったり、リハーサルだったり、ツアーだったり、ライブの名前を冠した写真がたくさん飾ってあった。

行ったライブはそのときのことを思い出し、行ってないライブも、そのセットリストを見たり思い出したりして、自分がその曲をバンドで演奏したときのこと、その曲をよく聴いていたときのことを回遊する。

じんわりと楽しかったことなり、しょっぱかったことなり、胸がきゅっとなることだったりの中に心を置くのはくすぐったいときもあるし、悲しくなることもある。

でも過去志向、結局は虚しい。でもでも、過去に想いを馳せるのにとどまらず、もう一度やってみたい!だったり、あのしょっぱい想いは二度としない!だったり、先を見据えることができるなら気持ち良い。

音楽をするというのは、過去に身をおきながら未来に向かって精一杯走ることの気がしてきた。

音楽自体が人生の主線を占めない場合において。

1つ1つの音楽には差こそあれ、記憶、臭い、まぶしさ、蒸し暑さ、悲しい気持ち、はらわた煮えくり返る悔しさがその音楽の内、外つまり自分を含む環境が織り込まれている。

織り込みながら人生を過ごし、音楽から取り出す。

そしてまた織り込み、ただただ繰り返す。

それならただ聴いてればそこで完結しそうなもんだ。それ以上に、演奏をやめないのはなぜか。

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たまたまミスチルのイノセントワールドを聴いて全てが始まった。

テレビに釘付けになった。

ここまで音楽で衝撃を受けたのはそのときと、初めてミスチルのライブに行って桜井さんが目の前に現れた瞬間(こっちは「音楽」ではない…)くらい。

しばらくして父親からアコギを譲り受けた。

数ヶ月後、いとこの結婚式でミスチルの抱きしめたいを引き語った。

かっこいいか、心地いいか、なんなのかよくわからない衝動に突き動かされて、歌とギターを始めていた。

音楽を続ける、ということについて想いを巡らすとき、いつもこの場面が頭をよぎる。

最近は感情を揺さぶる、琴線に触れる、そんな音楽をやりたい(やらないと意味がない)思いを強くしているものの、その場面の、感情よりももっと奥底にあって自分を突き動かしたもの、本能なのかesなのか、そういう原始的なものが在る気がしている。

音楽を自分から放出することで、その原始的なものをより感じることができる。

ただし、自分の中ではな!みたいなところがある。

過去の音源を聞き返すと、たいてい自分の部分は気分が悪い。

自分の中では気持ちいいはずなのにすごく聴いていて耳障りだ。イヤホン引きちぎりたくなる。

バイブスとか、グルーブ感とか、エモさとかは最低限の技術・品質の上に生まれるもの。

原始的なものの何歩も手前で長年躓いてきた。

けど、原始的なものをこの手で…!

音楽を聴くと、ライブに行くと、その原始的なものに触発されるから一時離れても戻ってくるんやと思う。

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昨年12月くらいに、自分の練習音源を聴いて初めて「これ、それなりによいのでは」と思える歌があった。

これまでとは違う歌い方を教えてもらい、あれこれやってもしょうがいないと思ってひたすら1曲練習した結果だった。

そのライブの後、同じ人の別の曲を練習して半年。また、「これ、それなりによいのでは、前の曲に完成度達してないけど…」みたいな状態になった。

出来心で母親に送ってみたら、よかったらしい。高校のときに気持ちよく歌っていた歌(たち)を酷評されてよくイライラしていたのでくすぐったい。

ただ、それは肉体・技術的に自分の中で納得したというだけで、曲に思いまで乗っていない。そこはつめていきたい。

原始的なものの手前に、人の感情がある。自分で書かなくていい、書けないけど、移入できる歌を歌いたい。

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これからいよいよ本戦が始まる。

次はミスチルの曲に戻ってくる。

秦さんの曲で1年間新しい歌い方を学び、いよいよその歌い方でミスチルを歌う。

秦さんの曲をアレンジしたみたいに、ミスチルを「自分が」歌う。

自分が歌って意味のあるように歌う。

12月のライブでは、スタンウェイのグランドピアノでミスチルを1曲引き語る予定。

上の1行は言いたかっただけ感があるけども、このライブでやる音楽もまた自分にとって大事な大事な音楽になるんやろう。

この過程は本能であり、生きてゆく勇気であり、研鑽の先に喜びを見出すことであり、他の大事な全てのことに通ずる。

6月7日(日)

27歳になりました。毎年、年末年初と誕生日には振り返り、先のことをなんとなく考えるので則ります。

エンジニア編

この1年間

26歳なりたての記事、とにかくワクワクしていて楽しそう。

初めてスクー登壇(ってほどのことはしてない)した日でもあります。

26歳で見えたこと、見えないこと(前編)

26歳で見えたこと、見えないこと(後編)

まだブログ書くの楽しいー!って言いつつ、初めてのサービス開発にひーひー言いつつも、何もかも自分たちで考えて、自分たちで作り上げることにただただ没頭していました。

目標に掲げてた、3つサービス作ってダルマに目を入れるというのもやりきったっぽいです。

そこから1年経った今、職業プログラマーとして目下修行中です。

自分が没頭できるのは何か考えた結果、それはプログラミングだというところに落ち着いて、それが趣味にとどまらず職業になりました。

SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます

なんて幸せなことなんだろうとつくづく思います。

エンジニアとして目指すもの

個人の趣味としてやるにはマジ楽しい!ヤバい!でいいのかもしれません。

駄菓子菓子、人と、チームの一員としてサービスを作るにはチーム開発もできないといけないし、自分が楽しい、だけでは当然済みません。

自分の外、対外的に価値がないとダメです。

その上でエンジニアとして何を目指すのか。

記事では、「技術寄りでサービスを考え、作り、変え、大きくしていくことができるエンジニア」って書いてますね。

・作れって言われたもの作れるのは当然として、どうあるべきかを考えて設計して実装に落とせる
・ダメな部分はユーザの反応(数値)を見た上で変えれる
・ビジネス的な数値を追いながら変えていける

とかを意識してのことだと思います。

目指したいですね。でも、それに必要な技術要素を列挙して、逆算して、身につくように取り組む案件や使う技術を調整する、というものでもない気がします。

今はただただエンジニアとして存在する理由がほしいです。

新しいチーム

6/8(月)から新しいチームの一員として働きます。

一時的なアサインになるかは状況によって変わるかもしれないけれど、そこでいい仕事したい。

そこで身につけた技術をその次(?)のチームで活かして、もっともっと意味あることがしたい。

言葉にすると本当によく耳にする言い回しになってしまうけれど、

・今目の前にある、まさに必要とされることを何でもこなせる
・今の体制では手薄になってしまう、けれどもみんな必要と思っていること部分の仕組みを一から(とは言わなくても「自分がやったった」って言えるくらいの貢献度で)作りたい
・特定の分野と、逆に誰もやってないけど誰がやるといいやろう?みたいなときにアイツや!って声かけてもらえるようになりたい

という姿を目指したい。

「自分はこういう分野をこう作りたい」は、上みたいな姿勢で取り組んだ末に特に力を発揮できる分野として見つかればいいし、足りないことを分析して課題としてまとめ、それを「技術」で解決していける人みたいなポジションも素敵。

技術的な視点(実装まで考えられてはじめて具体的に判断できるような視点)で組織を見て変えていくことができるみたいな人もいたら役立てるのでは。

目の前のことに没頭できる(没頭できることに取り組むことができる状況に身を置いた)からこそ、その先にどういう価値を生み出すべきかは引き続き考えて実践していこうと思います。

思い通りに進まなかったり、自分が触っている部分・技術はどれだけ局所的なのかだったり、周囲を見回したり、なんやねん自分って腹立たしい毎日やけど、エンジニアリングも会社もほんとに楽しいのでどないかなると思います。

27歳はCTOが起業した歳でもある。

音楽編

2年半ぶりのミスチルのアルバム、久々に観に行ったライブで、やっぱりミスチルはバンドでやりたい!という思いが強まっています。

REFLECTION、すさまじい完成度。

音楽面でもこの1年で大きな変化がありました。

ミスチルという呪縛の向こう側にある音楽

無理に高い声を張り上げるのをやめることで秦さんの歌を歌う。

そして、新しい歌い方でまたミスチルを…というところに差し掛かっています。

新しい歌い方だとどうしても弱々しくなってしまうので、それをなんとかしつつ、曲毎に調整していきます。

年末までに5曲(ミスチル)、さっと歌える引き語りのレパートリーに追加できていたら最高というところでしょうか。

ピアノ

たまたま歌・ギターを練習するブースにピアノがあったので数年ぶりに触ってみたらとても気持ちよかったので、寝る前とかにヘッドホンつけて触るようになりました。

年末には1曲引き語りでライブ出れたらと思います。

あと、久石譲の曲、1曲しっかり弾けたら最高ですね。

ルームシェアのこととか、たまには旅したいとか、改めて奈良の家族大事にしたいとか挙げればきりがありませんが、機会があればまた今度!

奈良に帰ってます。

20150329

春の日差しにふと地元の堤防の桜を思い出し、何年親と一緒に見てないんやろう…と思ったら悲しくなりました。

奈良を飛び出して東京に出たのは小6のときによくわからずもなぜか目指した「官僚」になるためで、方向性をあれこれ変えた今となっては東京にいる必然性がほんとにない。

でも刺激的な意味での居心地のよさから居座っているという。

一方で一人っ子な自分を親は大好きなわけで(自過剰)、GWとお盆と正月にちょろっと帰るだけ。

帰れるときはもう少し帰ってもいいのではと改めて思った次第です。

駄菓子菓子、実際家族で花見とか改めて行ったことなんてないかもしれない、というオチ。

近況報告

昨年末で2年半くらい勤めた会社をやめ、営業をやめました。

そして今年の頭からエンジニアとしての道を歩み始めました。

SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます
We' re hiring!

それ以来、社内的には振り返ってはいるものの、社外に対しては直接会わない限りは話せてないし記事も書いてない!

ということで近況報告も兼ねて何かしら書いておこうと思います。

まだ働いています

結論、元気に(多少体調を崩しながら)働いています。

まずは1ヶ月。本当の意味での「試用」期間があまりにもアレなら2ヶ月目以降は無いということで働き始めた1月。

開始3日目。コードまったく書けない!やばい!ということで、このままではアウトですという旨の面談を冷や汗をかきながらしていただいたのは生々しい思い出です。

趣味で動かすのとは違うのだなぁ…という感触以前のレベルでプログラミングできなくて絶望したものの、丁寧にご指導いただいたお陰で1ヶ月でクビという事態は免れました。

じゃあ、なんだかんだエンジニアとして認められている?

1ヶ月をなんとか乗り越えないといけないんですよ〜みたいな話を転職前によくしていました。

その1ヶ月を過ぎ、晴れてエンジニアの「一員」として認めらたら報告でもしようか〜なんて思っていました。

駄菓子菓子、それはまだ至ってません。今度は6ヶ月。一人前のエンジニアになるまで闘争は続きます。

もっと必死に

がんばってないこともない。けど実力は無いし、成長速度もまだまだ。

日報書く時間もコード書いたり、ソースコードを読んだり、プログラミング関係のインプット・アウトプットに充てるようになりました。

たまに前よりは書けるように、読めるようになったかもしれない、と思うことはあります。

けどそれって、不合格ライン内で手数が10点なのか、20点なのかっていうレベルのことです。

基準は別のところにあるし、それがないまま成長だ一人前だ言ってても終わりないですよね。

チーム開発に貢献する

貢献のしかたはいろいろとあります。

その中で真っ先に高める必要があるのは直す力です。

バグが何1つ無い完璧なソフトウェアはないし、スピードとクオリティの兼ね合いで妥協して作ることもある。

それを(実は異様に根深い渡河でない限り)1日2〜3個くらいは少なくとも自分の中で問題が解消された状態にもっていってレビューに出す。

現状、ものによっては1日かからないものもあれば、2〜3日かけてもよくわからないものもあるという状態です。

ちゃんとできるようになるためにはこういうことが素早くできるようにならないといけません。
○既存のコードの動きを追えるようになる
・問題のある事象を再現させるための環境を作る
・ツールを使って問題となっている箇所を特定する
・自分の力で試せる部分が尽きたら助けを求める(★1)

○解決策を調べる
・エラー内容をググる
・実装方法何個か並べていいのから試す
・自分の力で試せる部分が尽きたら助けを求める(★1)

○正しく動く状態にする

・無駄にSQLが発行されてないか調べる
(・動作が遅くないか調べる)
・テスト書いて動かす(★2)

今遅れを作っているのはどこか考えた時、★が特に遅い気がする。

つまり、
・もうこれ以上自分の力では無理だ!ってなってからもなかなか人を頼れない。
→なかなか人に頼れず更にもがいて何とかなるパターンもある。駄菓子菓子、時間の制約もあり、1から10ま自力ですることが目的なのではないので頼るべきところは頼る。はやく!
(実際聞いたらすごく丁寧に教えてもらえるし、分かりやす過ぎて感動する。)

・最低限のテストを書くにしても、データ作りに手間取ってしまう。モック・スタブでとりあえず返ってきた値を活用する程度でよいことがあったり、テスト用データの雛形の一部を書き換えたら済むみたいなことがあったり。複雑にするのが目的ではない。大慈寺な部分をはやくおさえる!

今見つめ直す基本の写経

あまりにいろいろと不安になり先輩にいろいろ相談してみたところ、
・写経良い
・リファクタリングうんたらの本とかまだ手つけなくてもいいのでは
・試せ!とにかく試せ!
というシンプルな解をいただきました。

読書とか勉強とか好きで、あれやこれやとへーとかほーとか言いつつ、勉強してる風になっていてでも力ついてないみたいな場面けっこうあったかもしれない。

そういうわけで、いったん『リファクタリングRubyエディション』を読んでなるほどと思える部分までを終え、Railsチュートリアルと『パーフェクトRuby on Rails』を読み書きしてます。

特にチュートリアル。入社前の課題で、3〜4日でやんないとクビになっちゃう!みたいな意識でとりあえず一通り動かしたものの全然理解してなかった。

そして今読み直してもなるほど!って思える部分が多い。

・機能の足し方
・リファクタリング(共通の部分切り出すとか、切り出したのを元の箇所で動くようにするとかシンプルな類)
・テストの書き方・書くタイミング
・テストを助けてくれるツールの使い方
・認証とか認可とかセキュリティとか共通して必要になる概念と共にシンプルな実装(実例)に触れられる

基本 = 簡単ではないのはよくあることだし、少なくとも元々自分が書いていたプログラムよりは網羅的で綺麗で人が読んで足せる(意図が把握できる)コードになってます。

そして以外と「あ、これ今書いてるあの部分にそのまま使える!!」みたいなことが多い。

あと、図書を管理するツールを直そうとしていて、そのまま使いたい部分がけっこうあったり…

『パーフェクトRuby on Rails』の方は、
・なんとなく実物を追えるようになってきたのでなんでRailsってそういう設計になってるんやっけ?みたいな部分を追いたい
・これ実装してみよう!みたいな部分のレベルがチュートリアルと業務の間にあって精神的に良い

とかがよくて読み書きしてます。

最近読んだ本にも、7、8割大体理解できていて残りを足すくらいがいいんじゃね?みたいなことが書いてあって、学ぶ対象としてとてもしっくりきています。

試すことについても、pryというツールを教えていただいてからは試したいところでサーバを一旦停止して書いてみる、ってのだったり、これ解決する方法こんだけパターンあるなぁ…というのを実際にパターン別に試してこれがいい!(意図が伝わりそう、テストシンプルに書けそう)というのを決めたり、色んな粒度で取り組んでます。

不安、とは書きつつも定期的に面談してもらったり、こういうことも考えとかなくちゃね!というヒントを日常的にいただいたり、いざというときには話を聞かせてもらったり、CSSおじさんが颯爽と現れてくれたり、迷える子羊を放っておかない組織・方々です。

文字にしたら注力すべきこと・気をつけることの焦点が合ったのでめでたしめでたしです。

ほんとはもっと
・今の会社ってこんな雰囲気で~
・こんなところが好きで~
・好きなことを仕事にしてみたら実際どうか
・好きなことと得意なことが重なったらいいなぁ
とかとか書きたかったんですが、それはまたの機会に!

さいごに

4月からの体制図に自分の名前なくて、泣きそうになって探してたらNyanchuって書いてあってどんな顔したらいいのかわからなかった話はどうでもよいです。

先週くらいに体調崩してしまい休んだし、原因よくわかんないし、まだなんだかんだよくなってないしで、療養しに実家帰ったみたいなところがある。

物理的によく休んだのもあるけれど、改めてめっちゃ大事に育ててもらったなぁと思うことがあって、その恩を返したり、人(自分と関わる人)を大事に(優しく)するには必要コストとして自分を労るのも大事だと感じました。労る。それで気持ち的にもちょっと楽になりました。

長距離走のようで、近めのなゴールを意識的に定めた短距離走の繰り返しと思っているけど、それに耐えうる装備とメンテはやらないと結局無目的にゴールの遠い長距離走と結果変わらなくなってしまう。

それはダサいし、そうなるならわざわざこの道選ばない。

闘争は続く。

We' re hiring!

1月1日(木)

明けましたね!おめでとうございます。

2014年もオンライン・オフライン問わずお世話になりました。

さて、色々と書くべきと思うことはあるのですが、今回は転職の経緯について書こうと思います。

次にやること

クラウド会計ソフトのfreeeでソフトウェアエンジニアとして働きます。

freee_logo

・全自動クラウド会計ソフトfreee

・全自動のクラウド会計ソフトfreee(フリー)関連記事のアーカイブ
(がんばって主要記事集めました)

前職では企画営業をやっていましたが、自分が関わるプロダクト、価値、領域、組織、そして何よりも生き方について2013年後半〜2014年にかけて色々と思うことがあり思い切って挑戦することにしました。

これからいろいろ書きますが、事実として絶対こうだ!ということでもなく、自分にはこう見える、こう捉えた、こう思っている程度のものです。

その辺りを汲んでいただけたらありがたいです。

エンジニアとして働く

疑問

2013年末、色々と考えていました。

元々開発→コンサルというキャリアを歩む予定だったけれども、今自分は営業の仕事をしている。
「社会人2年目を迎えること」を今更ながら考えてみる(前編)

営業で学ぶべきこともある。提供できる価値も当然ある(なければならない)。自身の役割以上には調べ物をしたり、勉強会に出たりしている。

でも、オンオフの区切りも忘れるくらい没頭しているか?熱くなれているのか?(自分にとって)心底価値あるものと感じ、寝る間も惜しんで取り組めることなのか?

そう考えたときにYESと答えられる状況ではありませんでした。

かと言って、じゃあ俺はこれをやる!というものはありませんでした。

音楽も読書も旅も書くことも大好きです。しかし、それ自体に人生賭けるのもどうだろうと思ったので、その思いは大事にしつつも改めて「探す」ことにしました。

自分探し

敢えて「自分探し」なんて言葉を使いますが、そのラベルづけがディスられようと蔑まれようと、実態は「いまだによくわからない自分が何者なのか、何をやったら善く生きることができるのかを考え抜く」という行為です。

就職活動よろしく、自己分析的なことしたり、過去の選択を振り返ったり、人と会って自分が何してるときが嬉しいそうか聞いたり散々考えました。

・何度も問うて出した答えを絶対に忘れない

・これまでのこと、これからのこと (前編)

そのとき明確な答えは出ませんでしたが、

・入社前の4回プログラミング教室と没頭感
0からのプログラミング講座
・GREE IDEA JAM 2011(プロトタイプありのビジコン)で、自分で考えてもの作ってビジネスする人に対して抱いた強い憧憬

を頼りに、2013年12月末、Tech Garden Schoolに入学しました。

とりあえずいろいろやってみる

Tech Garden Schoolでは、プログラミングをはじめとし、デザイン、WordPress、リーンスタートアップ等色々と勉強しました。

・DoorLogの現状と今後の方針
・26歳で見えたこと、見えないこと(前編)
・26歳で見えたこと、見えないこと(後編)

けど、プログラミングは楽しいし、文章を書くのも楽しい。あれやこれや楽しい!

たまに大変なことはありつつ、Tech Garden Schoolやプログラミングコミュニティでの新たな出会いもあってほんとに毎日楽しかったです。

強みであり弱さでもあること

昔からあれやこれややることが楽しかったり、あれやこれややってる自分キャピーみたいなところがあります。

まさにこのときもそんな状態。

楽しいながらも、焦りは募ります。

自分はあれこれやることに没頭したいのではない!

予定は自動的に埋って身動きは取りづらくなり、何かをやっている気にはあるけれども1つ1つは深まらない。

もっともっと深い世界が見てみたい。

結局公私分断していて、それは自分の求めているものではない。

決断

「1年以内にエンジニアになります。プライベートでサービスを開発するのではなく、エンジニアとして、働きます。」

そう話したのは2014年7月のことです。

<顧客開発×アジャイル> サービスローンチ鎌倉集中特訓に参加して学んだ3つのこと

数ある可能性の中から、

「技術寄りでサービスを考え、作り、変え、大きくしていくことができるエンジニア」

がとにかくかっこいい!!と考えたことから、エンジニアとしてのキャリアを歩んでいくことに決めました。

上記記事内の助三というサービスや、他のプロジェクトでの開発を進めて力をつけつつ。

ただ、この段階では具体的にどこでどのようにエンジニアをするかはまだまだ詰まっていません。

エンジニアとして前職で働けないか

前職もSIerということで、当時は企画営業をやっていたにしても、エンジニアとして働く道はありました。

それに、社外に出るよりはとりやすい選択肢でもあります。

しかし、

・スタートアップ界隈・開発関連の勉強会に出たときに感じた雰囲気
・業態としてのエンドユーザとの距離
・クライアント - エンドユーザ
|
・SIer - 協力会社
・ユーザにとっての価値のために、新しいことに挑戦する姿勢
・エンジニアとして働き始めることのできるタイミング
・組織の規模

等々を考え、社外も含め検討することにしました。

エンジニアとしてどこで働くか

いざ探してみるにしても、素敵な企業はいっぱいあるはず。

この段階(8月〜9月)で意識していたのは、

・(ある程度)エンジニアドリブンの組織であること
・うわwww なんか面白そうwwwとワクワクできること
・新しいプラットフォームを作れること、既存のレガシーなプラットフォームをひっくり返せること
・「挑戦する人を自分の技術で支える」という予てからの思いをエンジニアという一プレイヤーとして実現できること

ということです。

ここからはすぐ選考・オフィス訪問という流れでしたが、以下の3つのイベント・サービスの影響を強く受けました。

大企業を飛び出すということ

・挑戦するエンジニアを応援する! 〜大企業を飛び出したエンジニアの実体験トークイベント〜
(2014年9月6日)

タイトルの通りです。前職OBで大きな挑戦をした方、エンタープライズ向けの大手企業からスタートアップに挑戦した方と直接するお話する貴重な機会でした。

イベントの後もお話を伺ったり、社外の活動にお邪魔させていただいたりしました。

前職での可能性はやっぱりあるのでは…と悩んでいた時期に、吹っ切れるきっかけをいただきました。

スタートアップの祭典

・IVS 2014 Summer Workshop
(2014年6月27日、28日)

イケてるスタートアップのえらい人々が集まっていろいろと講演してくださる場

と説明すると実態とは異なるので、気になる方は下記を参照してください。

IVS

Infinity Ventures Summit(インフィニティ・ベンチャーズ・サミット。以下IVS)は主にインターネット業界のトップレベルの経営者が一同に会し、業界展望や経営に関して本気で議論する場である。
IVSは経営者・経営幹部を対象とした年2回の招待制オフサイト・カンファレンス、新サービスの発表の場「Launch Pad」、未来の日本を支える学生に対してトップレベルの起業家の生の声を届ける「ワークショップ」などを開催することでベンチャー企業の生態系・コミュニティ作りに注力しています。

どちらも面白そうな企業(組織、経営者)ばかりで、この中から次の職場が決まればどれだけ幸せだろうかと思いました。

やや無謀ではないか、やはり自分はミーハーではないかと思いつつ。

転職の新しいカタチ

・リアルウォンテッドリー
(2014年9月22日)

IVS登壇企業の1つ、Wantedlyに企業情報を掲載している企業がリアルの場でブースを出し、話を聞きに回れるというイベント。

いろんな企業をだーーーーっと見て回る中で、プラットフォームの中でも具体的に何を作りたいのかがだいぶ見えてきました。

・経営者を支える系
・働き方を変える系
・教育系
・クラウドソーシング系

まだまだ広いですが、プラットフォーム、ってネット系企業であれば大体該当しちゃいそうな中でだいぶ絞れた感があります。

Wantedlyでの転職活動

リアルウォンテッドリー後、どうせならエージェントを挟まず、ウォンテッドリー経由でオフィスに話を聞きに行った方が面白そう!ということでWantedlyのプロフィールを充実させました。

・Wantedlyプロフィール

10月からは実際にWantedly経由でオフィスに遊びに来てみなよ!とお声がけいただいた企業や、「話を聞きに行きたい!」ボタンを押した企業に対して訪問。

10月末に内定をいただき、転職活動が終わりました。

freeeとの出会い

この流れの中でクラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働くことになりました(条件付)。

前述IVSの打ち上げイベントでたまたま関係者とお話したり、オフィス訪問でたくさんの方にじっくりお話を伺い、じっくりお話を聞いていただいたのが印象的でした。

全自動のクラウド会計ソフト「freee」を担うフルスタックエンジニア募集

ここにある通り、

freee 株式会社は、スモールビジネスに関わる人がより創造的でオモシロイ活動にフォーカスできる社会を実現するため、全自動のクラウド会計ソフトおよびクラウド給与計算ソフト「freee (フリー)」を開発。このプロダクトをスモールビジネスを元気にするプラットフォームに昇華させていきます。

というのはまさに自分も挑戦したいと思っている分野です。最高です。

ビジョンはもちろんのこと、文化、組織、プロダクト、ユーザとの向き合い方等他の観点から見ても最高です。

この記事(オンとオフを分けなくてもいいんじゃない?)と、IVSで聞いた講演の特に印象的だった一節。

20代のたった3000日を、どう過ごすか? 一流起業家らが振り返る、ドM的修行エピソード
(IVSの講演書き起こし)

当時僕がどういうふうに働いていたかっていうと、日曜日の夕方くらいに会社に来てですね、土曜日の昼に帰ると。ずっとその間泊まり込みというか、そんなに寝てもないんですけども、ずっと会社の中で過ごす。それしてても、まったく飽きないくらい、のめり込んじゃったんですよね。

自分の通っていた大学の先輩が既に大学時代にこういう経験していて、こういう価値観を持ってらっしゃって、というのは最後の一押しでした。

僕自身、エンジニアとしてのバックグラウンド・実務経験がないにもかかわらず、気合なりやる気なり、今後の可能性を買っていただけたことはただただ幸運です。

これから

月並みに、まだスタートラインに立ったばかりなのでキャピキャピとか書きたいところですが、実際スタートラインにすら立っていません。

大人の事情というやつです。

11月からは修行修行の日々を過ごしています。たくさん本とネット上の情報を参照しつつ、一刻も早くスタートラインに立ち、一人前のエンジニアになるべく引きこもっています。

いつの間にか12月も終わり、新年を迎えてしまいました。

昨年の年越しはHTMLとCSSの本をひらすら写経をして過ごし、まさか1年後にエンジニアへの第一歩を踏み出そうとしているとは思いもしませんでした。

ただ、こうして改めて振り返ってみると、たくさんの人に助けていただきながら、進むべくして進んでいる感があります。

本当に本当にありがとうございました。

当面はエンジニアとしての成長を最優先しつつ、まともに生活することが軸になるでしょう。

ただ、僕が通ってきた道で役に立てることがあれば何かできたらなぁと思っています。

1月からはシェアハウスに住むので(別途何か書く予定です)気軽に遊びにきてください!

そういうわけでこれからも公私共々よろしくお願いします。

おまけ

僕の成長に投資してくださる方は、こちら!笑

アマゾンのウィッシュリストです僕に届きます〜キャピ

エンジニアとして生きる 〜基礎編(3ヶ月でマスター)/発展編(半年でマスター)〜については、買ったり、貸して頂いたり、保護して頂いたりでなんとかなりそうです。

ありがとうございました。

エンジニアとして生きる 〜エンジニアの休日編〜

クラウド会計ソフトfreeeに関するウェブサイト・記事のアーカイブです!

全記事を集めるのは厳しかったので、大事そうなのを大体集めてみるスタンスにしてみました。



プロダクト

・freee

・ウィキペディア

・全自動クラウド会計システムのfreeeを使いこなす

・クラウド会計ソフトfreee(フリー)のメリット・デメリット 2014
(2014/3/24 節約投資のススメ)

・FREEE、MFクラウド会計の比較
( 2014/9/26 行雲流水)

・エクセルで給与計算するのはもうやめよう、今日から使える給与計算ソフトfreee!【PR】
(2014/11/13 みんなの給与計算教室)

・専門知識不要で使うほど賢くなる、全自動会計ソフトfreee [PR]
( 2014/11/25 Lifehacking.jp)

・世界一ラクにできる確定申告 〜全自動会計ソフト「freee」で手間なく完結!〜 平成27年版(書籍)
(2014/12/23 技術評論社)

・freee API v1.0
(GitHub Gist)

・【PR】スマホで領収書を撮影してアップロードするだけの“楽チン”精算 クラウド会計ソフト『freee(フリー)』で経費精算をやってみた
(2014/10/24 ガジェット通信)



中の人

[CEO]
・クラウド会計ソフト freee – 佐々木大輔のブログ

・CFOで達成すること

・“全自動のクラウド型会計ソフト『freee(フリー)』で躍進”
(2013/12/13 ビジョナリー)

・竹中平蔵氏×クラウド会計ソフトfreee社長・佐々木大輔対談 「世界は再びフラット化し、日本人の収入は下がる」
( 2014/11/13 THE HUFFINGTON POST)

・博報堂でも、Googleでもできなかったこと—freee佐々木大輔氏が語った「僕が起業した理由」
(2014/11/18 logmi)

・「仕事=リアルな“お題”解決」
( 2014/12/2 ReLife)

[CTO]
・freee株式会社取締役 横路氏が語る「スタートアップに必要なプロダクト志向」
(2014/6/2 レバテックタイム)

・ハック・エブリシング!それが、freeeエンジニア成長の価値基準──freee橫路隆の「仕事の流儀」
(2014/9/5 CodeIQ)

・freee創業者インタビュー――走り出したら「何でもやる」、それまでは「目の前のことを頑張る」
(2014/10/7 @IT)

[COO]
・「経理専任のメンバーはいないんですよ」ーー隠れたキーマンを調べるお・freee、東後氏インタビュー
(2014.5.24 THE BRIDGE)

[UI/UX]
・「UXづくりは開発風土づくりそのもの」会計アプリfreeeの関口聡介氏が、Googleでつかんだ信念【連載:UI・UXキホンのキ】
(2014/4/15 エンジニアtype)

・Googleトップページで学んだUI/UX経験をどう活かす?──freee関口聡介氏「仕事の流儀」
(2014/9/25 CodeIQ)

[エンジニア]
・東大法学部卒(31歳・無職)が半年でプログラマーになれたのは生存本能のおかげ~『freee』開発者・平栗遵宜さん
(2013/9/26 エンジニアtype)

・東大法学部卒・31歳無職はなぜ第一線プログラマになれたのか──freee平栗遵宜の「仕事の流儀」
(2014.9.16 CodeIQ)

・デブサミ2014 Yet Another Your Story 「31歳無職、職歴なし、ベンチャーへ行く」
(2014/2/13 togetter)

・エンジニア@Qiita

[グロース]
・それってホントに『分析』?|freee データマイニングエンジニアに学ぶ本質的なデータとの向き合い方
(2014/7/24 CAREER HACK)

[広報・マーケティング]
・BtoBビジネス「クラウド会計ソフトfreee」のFacebook活用とは?ページ投稿も広告も全て「顧客の役に立つために」
(2014/10/22 SMMLab)

・【Around88’s】カップル揃ってスタートアップ。東工大院卒のリケジョfreee前村菜緒さん。
(Now or Never)

[ユーザーサポート]
・神対応と呼ばれたい!|ユーザーサポートでも、サービス思想を体現する freee 中島伸吾の挑戦
(2014/8/22 CAREER HACK)

組織・文化

・freee
(wantedly)

・チーム力を上げるには卓球を。クラウド会計ソフト「freee」の改善を支える仕組み【Startups 2014】
(2014/1/8 lifehacker)

・オンとオフを分けなくてもいいんじゃない?
(2014/8/7 CAMPANELLA)

・freeeを提供することで、「イノベーションを生む環境」を作りたい(前編)
(2014 日本の成長企業)

・freeeを提供することで、「イノベーションを生む環境」を作りたい(後編)
(2014 日本の成長企業)

・成長し続けるfreeeにみる徹底したコミュニケーションデザインの重要さ。

(2014/11/9 60-minutes.biz)

・「本質を見極める」 freee流、ブレない組織の作り方。
(2014/12/12 Find Job!)

・社内コミュニケーションを「卓球」で促進!?~freee株式会社にお邪魔しました~
(2014/12/8 ピクスタアンテナ)

山口 徹,Jxck,佐々木 大輔,横路 隆,加来 純一,山本 伶,大平 武志,米川 健一,坂本 登史文,若原 祥正,和久田 龍,平栗 遵宜etc 技術評論社 2014-08-23
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マーケット・資金調達・IVS

・週刊東洋経済 立ち読み
(週刊東洋経済)

・TC Tokyoのスタートアップバトルに出場した会計アプリのCFOがDCMから5,000万円の資金調達を実施
(2012/12/19 TechCrunch Japan)

・グーグル卒業生、“全自動会計”で席巻
(2013/4/5 東洋経済オンライン)

・『CNET Japan』に掲載:IVSの6分間プレゼン大会「Launch Pad」にベンチャー12社が挑む
(2013/5/24 CNET Japan)

・Accounting startup Freee walks ways the winner from Infinity Ventures’ Launchpad competition
(2013/5/24 THE BRIDGE)

・経営資源をクラウド化するーーエンタープライズビジネスで注目すべき23+αのスタートアップたち
(2013/6/21 THE START UP)

・freeeから学ぶ、シリーズAを調達するまでの5つのフェーズ
(2014/2/4 schoo)

・クラウド会計のfreee、8億円を調達
(2014/4/23 日本経済新聞)

・freeeの上場頼みか?IVP Fund II パフォーマンス予想【ファンド・リターンズ①】
(2014/5/31 THE STARTUP)

・「freee」ユーザーが10万到達、会計ソフト初心者に刺さって成長
(2014/7/16 TechCrunch Japan)

・「簿記の知識がなくても帳簿がつけられる!」freee 佐々木大輔が考える企業会計の未来とは?前編
(2014/7/21 HORIEMON.COM)

・「簿記の知識がなくても帳簿がつけられる!」freee 佐々木大輔が考える企業会計の未来とは?後編
(2014/7/24 HORIEMON.COM)

・クラウド会計ソフトで、バックオフィスを自動化--「freee」快進撃の理由
(2014/8/5 CNET Japan)

・クラウド会計ソフト“freee”は士業から仕事を奪う「黒船」なのか!?
(2014/8/28 BLOGOS)

・全自動のクラウド会計ソフト『freee』を提供するfreeeの第三者割当増資引受けに関する契約締結のお知らせ
(2014/9/25 リクルート)

・FREEE
(2014/10/8 DCM)

・「freee」「MFクラウド」そして「やよい」、どのクラウド会計ソフトで確定申告したらいいのか?
( 2014/10/21 Biz.ID)

・20代のたった3000日を、どう過ごすか? 一流起業家らが振り返る、ドM的修行エピソード
(2014/11/19 logmi)

・中小企業の常識を変える - クラウド会計freeeが成長する理由
(2014/11/21 マイナビニュース)

・圧倒的に便利で安い!クラウド会計ソフト freeeが目指す高みとは?
(2014/11/25 ASCII.jp)

・【クラウド型会計ソフトの利用動向調査】クラウド化率は5%。4割強がfreeeを利用。
(2014/12/10 ValuePress!)

・クラウド型会計ソフト、4割強が「freee」を利用
( 2014/12/10 MarkeZine)

・クラウド会計ソフト、シェア1位は「freee」
(2014/12/11 マイナビニュース)

・2015年に10億以上調達が予測されるスタートアップ6選
(2014/12/12 THE STARTUP)



オフィス

・freee株式会社に遊びにいって、クラウド型会計ソフトfreeeを試してみたよ
(2013/9/6 グニャラくんの株式会社wktk運営日記)

・freee 株式会社 に行ってきた!
(2014/7/11 941::blog)

・オフィスづくりをハックする【freee株式会社】
(2014/7/29 officee)

・freee 株式会社を勝手に紹介してみた* - かがれいブログ
(2014/12/3 かがれいの勝手に会社紹介*)



リリース・提携

・「経理いらず」のクラウド会計 元グーグル社員が起業
(2013/3/19 日本経済新聞)

・TC Tokyoスタートアップバトル出場サービス – 全自動会計ソフトのfreeeがリリース
2013/03/19

・自動で会計帳簿を処理!元Googleマーケターが仕掛けるクラウド会計サービス「freee(フリー)」
(2013/4/16 SmaBI)

・会計ソフト「freee」がユビレジのiPad POSシステムと連携
(2013/10/11 ASCII.jp)

・ユビレジ × freee × スーパーデリバリー。最強の小売インフラトライアングルが完成か?!
(2013/10/21 60-minutes.biz)

・進むクラウド会計の世界、全自動「freee」は中小企業の救世主となるか
(2013/10/25 Biz.ID)

・佐川の代金サービス「e-コレクト」とクラウド会計「freee」が連携
(2014/6/9 Venture Now)

・1クリックで給与関連業務が完了する「クラウド給与計算ソフト freee(フリー)」の正式版がリリース、年末調整機能も追加予定
(2014/10/6 THE BRIDGE)

・「全自動のクラウド会計ソフト freee(フリー)」とモバイル端末を使ったクレジットカード決済サービス「Coiney」が連携
(2014/10/9 Coiney)

・フリーランスITエンジニア向け仕事紹介サイトPROsheetがフリーランスの福利厚生のため、クラウド会計ソフトfreee、クラウド士業サポートBizerと提携
(2014/10/29 THE BRIDGE)

・freeeが中小企業向け新コンセプト「バックオフィス最適化」を発表、領収書・請求書の処理を簡略化する新機能も
(2014/11/6 THE BRIDGE)

・請求書の処理業務を効率化、クラウド会計のfreeeがOCRなどの機能追加を発表
(2014/11/6 IT pro)

・クラウド会計の freee にOCR機能、スマホなどで領収書を電子化。紙の原本7年保存の規制緩和を視野
(2014/11/7 engadget)

・クラウド会計「freee」の“近所の美味しいカレー屋さん”の話
(2014/11/16 CNET Japan)

・給与計算ソフト「freee」に年末調整機能--煩雑作業を効率化
( 2014/11/17 CNET Japan)

・「クラウド会計ソフト freee」がプリペイドカード化、全国の家電量販店で購入可能に
(2014/12/22 INTERNET Watch)

・Yahoo!プロモーション広告



ブログ・まとめ

・自動会計ツール「freee」を使ってみた—これは青色申告ソフトの決定版だ!
(2013/3 まだ東京で消耗してるの?)

・日本のベンチャーすごいですね
(2013/5/25 生命保険立ち上げ日誌)

・口コミで進化する会計ソフト
(2013/6/27 日本経済新聞)

・簿記を知らなくても使える会計ソフト「freee」がいいらしい
(2013/11/18 NAVERまとめ)

・freee社のブログ
(2014/10/7 浜島裕作ブログ)

・いまさらだがクラウド会計「freee」がすごい! クレカの引き落としが自動で分類されていく気持ち良さを堪能せよ(PR)
(2014/10/29 Blog @narumi)

・freeeという会計ソフトはサービス内容もサポート体制も優れている
(2014/10/21 意識高杉太郎の社会をぶった斬るブログ)

・「会計の知識は不要!」のクラウド会計サービス「freee」で確定申告に挑戦する電子書籍を書きました
(2014/12/19 カイ士伝)

音楽をやって、ライブに出て、無性に文章が書きたくなりました。

ブログを書く、アクセスの多い記事を書く、SEOみたいなものを意識する、結論。伝えたいことありきのビジネスライクな表現形式をなぞる、それとは何か違う、自分の胸の内からわき起こる何かをそのまま文字として形にしていく、そんな文章が書きたくなりました。

だから小見出しとか、伝わる構成とか読み切れる長さとかは無視します。

ただ、最初に1つだけ言いたいのは、「ミスチルという呪縛」というのはMr.Childrenの音楽性云々の話ではなく、自分とミスチルの音楽の関係性を捉え直すことで見えてきた素敵なことがあったというお話です。

今でもミスチル(のイノセントワールド)は僕がギターやバンドを始めた原点で、とても大切な存在です。

自分が音楽をやるということ。これはある種生きることに対する表現、自分が生きていることに対する表現です。

僕は人生の伴侶として、旅、音楽、読書を掲げています。

(ただ、これは今後少しバランスを変え、今までとは異なる形になりそうです。)

そもそも、旅!楽しい!!生きる楽しみや!!!って思い始めたのは、大学の卒業旅行で、trippieceを使ってペルー・ボリビアに旅行したとき。

trippieceで行くペルー・ボリビア11日間の旅 ~6日目 ついに到着!ウユニ塩湖~

本だって、今こそ本棚にあふれるくらい本に囲まれているものの、大学4年生くらいまでは年に1、2冊読むか読まないか程度で、本とは完全無縁な生活を送っていたものです。

ただ、音楽は常にそばにありました。旅・音楽・読書の中でも異質です。

きっかけは全く覚えていませんが、3才からピアノを始め、センス的なものは無縁に発表会直前には狂ったように練習を重ねて何十人?百人以上?の前でクリスマスに本番を迎える。

中学受験のため、ピアノからは離れるものの、中学でははじめてカラオケに行き、中3でMr.Childrenのイノセントワールドに衝撃を受け、高1にはアコギを始める。文化祭ではバンドも組んで歌う。

大学でもずっとバンドサークルでギターを弾き、歌う。

社会人になっても会社でバンドサークルに入り、その傍ら歌とギターを習い始める。

そして今では、バンドサークルには全然参加できていないものの、歌とギターを習い、そのスクールでのライブでは毎回1〜2曲演奏しています。

音楽を続けると言っても、音楽との距離感や位置づけはそのときそのときによってまったく異なります。

ピアノをやっていた頃はよく覚えていません。とにかく発表会で弾くことへの執着というか、単に多くの人から注目される、スポットライトを浴びて、ただ自分1人に視線が集まる異様な空間への中毒みたいなものでしょう。

今よりは幼い頃なので、もっと意味的なものの外にある感覚的なものです。

中・高・大の音楽はシンプルにミスチルへの憧れだったように思います。

イノセントワールドを聞いて受けた衝撃を…衝撃に対してどうしたらいいかわからず、ただひたすら追いかけていたように思います。

その曲が好きであることと、それを歌っている人に対して憧憬の念を抱くことと、それを自分がやることはきっと重なる部分もそうでない部分もあると思いますが、やっぱりよくわかりません。

ただ、その憧れを自分が(自分たちが)やるのは他のバンドの曲を演奏することとは違くて、やっぱり楽しかったなぁと思います。

でも、憧れだけで、なるべくそれっぽく歌おうとすること、なんとなく感情をこめてそれっぽく歌おうとすること。

これには二段階の難しさがありました。

そもそも、高い声が出ないということ。

無理に真似をしようとしてもただただ醜く、聞いてくれてる人までしんどくなる。少なくとも録音を聞いた自分は。

そして仮になんとなく通る演奏があっても、それ以上にならないということ。

そんなこんなで、憧れで追い続けてきた音楽はコンプレックスとの対峙の歴史でした。

大学を出て働き始め、音楽、どうしようと思ったとき、まずは物にならなかったということと、当時喉も壊してしまっていたこと、旅や読書という他の楽しみに触れていたことからもういいか、なんて考えていました。

しかし、夏のAP bank fesでミスチル櫻井さん率いるBank Bandの演奏を聴いて、いても立ってもいられなくなり、やっぱりやろうと。

そして、どうせやるなら、自分のコンプレックスと根本から決別しようと思い立ち、スクールに通い始めました。

それでも!時間もお金も投資しても!!ミスチル歌えない!!!というのが最初の2年は変わらず。

が、3年目、2014年度には徐々に変化が。

2014年4月のライブ。

ギターソロ付き完全にオリジナルのなごり雪と、弾き語りアレンジのFunny Bunnyは自分で聞いても今までとは少し違う感じに聞こえます。

なごり雪は2回本番のライブでやったこともあるし、音域的にもそこまで辛くないし、伸び伸びと演奏できました。

Funny Bunnyも歌詞がそのとき考えていたことと重なる部分があって主体的に選びました。アレンジも共感できる歌詞が届きやすい形にしたことで演奏だけでなくその音楽・歌詞に乗った本当に自分が共感したものへの言及、少しは届いた感もありました。

ライブ後。それまではミスチルの歌を練習曲としていたのですが、本当の意味で「憧れ」の曲。秦基博さんの鱗という曲に挑戦してみることにしました。

素で歌うと100%サビが歌えない曲。1人でカラオケに行くときですら自分で歌う気にすらならない曲を敢えて選びました。

ちょっと単純ではありますが、この曲が歌えたら自分が今まで縛られてきたものほぼ全てから解放されるという淡い期待があったんです。

声の出し方が変わり(ミックスボイスという出し方に変えないとそもそも歌えない)、その歌い方で他の曲も歌い切ることで「ミスチルたれ」「ミスチルの通り歌えてなんぼ」という世界とは「違う」音楽に出会うことができる。

そして迎えた12月のライブ。

転職活動や諸々で中断せざるを得ない時期もありましたが、鱗1曲にこだわったこの半年。

たぶん今まで自分の演奏から出てきたものとは違う音楽になったような気がします。

自分で聞いていられる範囲だし、これまでの歌い方(技術)だと到底無理だったはずの曲を1曲通して人に届けた。そして既存の曲を素材として、「コピー」「音符の連続」ではない「音楽」に触れられた(気がする)。

その事実が自分にとって何より大切で、これからの自分の音楽を届ける第一歩です。

たったの1曲。5分足らずの1曲にこれまでの音楽との決別のこれからの音楽のすべてが詰まっていました。

自分の音源を何回聞いても聞いていられる、というのは今までほぼなかったです。

1曲をひらすら練習することが他の曲の改善になるとは限らないのはまた事実です。

でも、また違う形でミスチルの音楽に触れ、自分がミスチルをやることの意味が生まれるかもしれないと思うとわくわくします。

「ミスチルという呪縛」なんて言うとミスチルが悪者のように聞こえてしまいますが、そうでなくて、呪縛を作っていたのは自分の音楽に対する向き合い方で、これからはもっと1人の音楽をする人として向き合えそうということです。

これまでの柱としてきた旅、読書、音楽は再構成せざるをえません。

何となく距離感のあった仕事がなんだかんだ生活の大半を占める中での、別腹としての「人生の伴侶」。

それが、転職をきっかけとして、エンジニアとして生きることでオン・オフの境はなくなります。(予定)

読書はより技術書指向になって付き合い方は変わり、旅は…どうなるのでしょう。

それぞれの付き合い方は考えていますが、音楽は結局離れないものと感じました。

というのも、今回のライブと『ハッカーと画家』という本を読んでどうしようもなくモノが作りたくなったり、この文章が書きたくなったり、考え事をしたくなったりしたからです。

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目の前にあるものこそが正で、自分がそれに合わさなければならない。その通りにできないのは自分に非があるし、できるまで訓練してできるようにならねばならない。そのようになるにはどうすればいいか考え、正面から乗り越えるべき。

義務教育の中で自然とこびりついた思考様式は音楽にまで表出して、足枷となっていました。

月並みですが、それは完全にモノ作りをやっていく上でも陥ってはいけないことのように思います。

思いや価値を実現する手段としての技術は高いに越したことはない。

けれども、その技術に固執して得られる物は本当に価値あるものか、本当に実現したいことは何なのか。

そしてあるやり方に詰まったら他の技術を試すことは「悪くない」こと。

正面突破して身に付く技術も大事だし、初期は特に四面楚歌的にエラーに出会うかもしれないけれど決めつけないこと。

本で言うハッカー(自分が「(ソフトウェア)エンジニア」と呼んでいる人たち)と画家に加えて、音楽という活動に携わることで生まれる発想も本当に大事にしたいと思うんです。

エンジニアとしての活動にフルコミットして何もかも生み出せるに越したことはないかもしれません。

でも、自分がこの人生を歩んで来たからこそ生まれるものは価値の源泉。

音楽の道を行けば食っていけるという逃げ道ですらないからこそ続けていきます。