1年位前にこんな記事を書きました。

ミスチルという呪縛の向こう側にある音楽

ミスチルという大好きな音楽。長年向き合ってるけど全然うまいことできない!けど、なんとかしたい!!ということでこれまでと歌い方を大きく変えてやってみよう。そんなスタンスで取り組んだ昨年のお話。

駄菓子菓子、いざ肝心のミスチルに新しい歌い方で取り組むことになる新しい1年はお仕事も変わる。果たしてうまく練習していけるかなぁ…

という内容でした。

今回の記事はまさにその結果、この1年の音楽が自分にとってどんなものだったかを振り返る記事です。

新旧の統合

昨年の様子

全然うまいことできないミスチルの音楽。いろんな「うまいことできない」はあるものの、自分が歌うにあたっての致命的なところは

  • 高い部分歌えない(音程が下がってしまう)
  • 無理に高い声を出そうとして喉をしめてしまう
  • 喉に高負荷をかけ続けるため最後までもたない

です。終わってます。

これらを克服するために、喉をしめて無理するこれまでの歌い方を根本的に変えないといけない状態でした。

そこで、ミックスボイスというのを教えてもらい、取り入れました。

平たく言うと、普段喋る地声とクロちゃんよろしく裏声の間の声を出す。太めの裏声で高い部分を歌うという感じです(とか言ってると怒られそう…)。

昨年は秦基博さんの鱗をこの歌い方で歌ってみて、だいぶそれっぽさが出た気がしました。

けど、ゆったりしたふわっとしたテンションの曲ではそれっぽくなっても、自分がやりたい元気ハツラツ90年代ミスチルソングにはちょっとか弱すぎるという状態でした。

今年の様子

そういうわけで今年最初に課題曲としたのはミスチルのNOT FOUND。普通に地声を張って歌うのは絶対無理!!というのを敢えて持ってきました。

途中で曲変えざるをえなくなって全然仕上がらなかったですが、

  • 地声の余裕ある音域でもかなりのどしめてる
  • 地声でがんばるかミックスにするか迷う音域がある
  • 歌い方変えたことによって息使いすぎて苦しい

等々課題山積。好きで歌ってきた数々のミスチルソングはもうこれまでと別の曲と捉えた方がいいというのがよくわかりました。

もしもピアノが弾けたなら

7月頃だったでしょうか?年末にコンサートがあると。

基本ピアノコースの方々が参加するもの、ということだったのでどうせならピアノ弾き語りでミスチルやろうかなと思いました。

  • ちっさい頃ピアノやってた
  • ハイスイノナサっていうバンドが好きで、ピアノけっこう入っててピアノの音を求めてた
  • 仕事しながら久石譲さんのピアノコレクションひたすら聞いててピアノ熱が高まっていた
  • 最近新しいこと挑戦しても何とがなる気がする

等々重なって挑戦してみることにしました。

やる曲はミスチルのHERO。

前奏・間奏のメロディに確実にピアノが合う気がするのと、伴奏は伴奏でけっこうピアノ入ってるのと、原曲もサビはミスチル楽曲には珍しくふわっと歌っていることからです。

あと、年末の寒い季節にこんな曲演奏できたら素敵かも…という妄想の産物ですね。

コンサート自体は音楽に限らずここ数年で最も緊張して散々でしたが、コンサート後も練習し続けて人前で歌う機会があってそれなりになったり、録音して聞けはする感じになったりと選んでよかったなぁ…という半年を過ごしました。

今年最後のレッスンはHEROにしてもらったものの、「あれ、こんな歌いづらかったっけ…?」ってくらい新たな課題が見える結果となりました。けどいったんこれはこれで区切って年明けは声張らないと迫力が出ない曲を課題曲にする予定です。

そして3月にあるライブでやります。

ピアノで弾き語る

ピアノ弾き語りは弾き語りで人生初だったので備忘録!

  • 本番1週間前の時点で、暗譜しようとせず暗譜した状態になってないと本番は弾けない
  • 最悪足、右手、左手、歌、マイク、聴衆、楽譜バラバラに意識することになるが、少なくとも楽譜は省きたい
  • 早めに妥協してシンプルなアレンジにすること。楽譜通り伴奏引くことが目的では決してない
  • けど何かしら本番が終わったら元のアレンジで弾けるように練習を再開すること。うまくならない

バンドでもミスチル

折しも7月に仲間を見つけ社内で立ち上げた軽音部。

忘年会でバンドをやろうということでミスチルのシーソーゲームをやらせてもらいました。

これこそザ・元気ハツラツ90年代ミスチルソング!自分がやるタイミングとしてはまだ早い…と思いつつ。

前後いろいろとあったり言われたりで歌える心境ではなかったんですが、しっとりとゆるっと歌うのとはまた違う空気に胸がアツくなったのでどうにかしようと思います。

番外編

もう1つの挑戦

久々に前職のサークルにも顔を出し、11月にはライブに出ました。aikoのギターで!

ギターだけ持って、歌なしでライブ出るというのは大学以来。何かと挑戦の多い年でした。

思ったより手も震えどうしようもない感じでしたが、ギターはギターで楽しいですね。

ボーカルやるにしても、ギター難しいからこのバンドコピーは無理!というのはもったいないので細々と続けていきたいです。

あとaikoよかったなんで聴いてなかったんやろう…

今年前半

年の最初の方にやってたの、よく考えたら秦基博さんのアイでした。

https://www.youtube.com/watch?v=9WoCR4B_qNo

これもギターがネックになりそうな曲で、ライブバーで弾き語ったときけっこう手が震えた気が…

ギターで細かいフレーズ弾かないといけない曲、まだ成功したないのでこれはこれで課題ですね。

好きな曲なのでもっかいどっかでやりたいです。

秦基博さんのアルバムも今月出たのでいろんな曲やってみたいですね。

来年の音楽

まず、今年は変わらず、むしろ多めに音楽できてすごくよかったです。

時間作るのはほんとにやりたかったらなんとかなる!

普通に人と楽しく昼ご飯食べたら40〜60分。昼休みに菓子パン買って、喉詰まらせながら30分カラオケ入るだけでも全然違う。すごいしんどいけど。

ピアノはピアノで久石譲さんの曲やっていきたいなぁ。

このアレンジがとてつもなく好きで落ち着きます。

ピアノでジブリ Studio Ghibli Works Piano Collection

ピアノ弾き語りもあと何曲かやってみたいのあるので、また機会があれば必死に練習するとしましょう。

でもやっぱり来年は元気ハツラツ90年代ミスチルソングをかっこよく弾き語りたい!

自分の音源聴いてても依然としてため息ばっかですが、去年よりは確実にマシなので来年は今年よりももっと上達させたいです。

勢いに任せて書いた去年の記事とは違って淡々としてしまいましたが、1年でミスチルのライブに3回も行ったり、ミスチル部作ったり、音楽的文脈でより憧れを強くし、前よりはほんのちょっと、ほんのちょっとだけ自信を持てたいい年だったかなぁと思いますいい年なだけに…

11月1日

に書いたことにしとこう。

内定もらったのがちょうど去年の10月28日(火)23:22。電話にて。条件付きではあったものの、ただただ嬉しくて師匠にすぐ連絡した気がする。

それはおいといて、そこから実務でエンジニアとしてやっていくための準備が始まりました。

bsPAK86_codeing20140517

それまではCakePHPとjQueryとRailsをほんの少し触っていたものの、いざ業務となると話は別です。

内定もらってすぐ会社に行って、こんな本読んだらいいよ!みたいなのを教えてもらって修行が始まりました。

いわゆるfreeeへの闘争というやつです。

前職では引継ぎや挨拶回りした後有給に突入し、それから入社まで大体の時間は課題図書を読んだり、ものをつくったりして過ごしました。

今回はこの1年で
・どんな勉強して(何読んで)
・何ができるようになって
・何ができてないのか

を書きたいと思います。業務より少し広い範囲でエンジニアとしての道のりを定点観測する大事な時期だったり。

入社前の課題(11月〜1月半ば)

内定とほぼ同時に言い渡された(表現的に受け身ですがとてもとてもありがたかったです)課題図書、3ヶ月でマスターしようシリーズ。

毎週会社に報告に行ってKPTを振り返り、今週はこんだけやります!って宣言してまた次の週、みたいなのを繰り返してました。

そのときの内容、Evernoteに「精神と時の部屋@freee」ってタイトルで丸々残っててそっ閉じせざるをえなかったです。

Webサイト

Railsチュートリアル4.0版
jnchitoさんのRspecに関するQiitaまとめ
Railsガイド

書籍

Everyday Rails

ものづくり

・二次会会場検索
・端末管理システム
・書籍管理システム

まず最初の1週間でRailsチュートリアルをやりました。実質4日くらいでひーひー言いつつ…。

途中から全然わからなくなってきて、でもこれ次行くときまでに最後まで動かせんかったら未来はないと思え…みたいなテンションでとりあえず出てくるエラーを潰しつつ最後までやりました。

結局半年くらいで4周写経しました。

1周の写経と写経の間にいろんな知識が身についてて(Rspec勉強する時期がったり、都度Rubyのメソッド調べたり)、やるたびに理解は深まってるのを感じたものの、最後に写経したとき、最後の方やっぱ難しいと思った覚えがあります。

1周目で
・マジRspecわかんねぇ
・RailsとRubyの境目どこだよ…

って思ったので、次に
jnchitoさんのRspecに関するQiitaまとめを読んだ上でEveryday Rails(Rspecのチュートリアル的な本の邦訳PDF。先に書いたjnchitoさんが翻訳)とパーフェクトRubyをやるという流れです。

こんな感じで特にわからないと感じた部分に関連する関連書籍を週3冊程度、それぞれ100〜250pずつくらい読み進めました。

11月末からは社内の端末を管理するシステムを設計して作り、Rspecも足してみるというのをやり、正月には書籍管理システムと作りながら年越しました。

バーコードリーダーでISDN読んで楽天APIをたたいて書籍名を引いてくる、というのをどうしてもやりたくて(こんくらいできないと未来はないと思えと思いながら)必死だった気がします。

1月からは業務も始まりつつということで、12月までに大体読み終えて(わからんものはわからんと割り切って)入社という形になりました。

当時通っていたプログラミングのスクールは年末でゼミが終わるということで卒業制作に勤しんでました。

こっちはこっちで必死で、
・食べログAPI
・GooleMapAPI
・ページ下部でクリックしたら上部まで戻るjQuery
・非同期通信
・UIの何かしらのライブラリ
をなんとか使いたくて、これはやる!って言ったものはとりあえず全部動かしたと思います。

結果できたのが、現在の近くにある飲み屋さんをマップ上に表示しれくれる、二次会会場検索サービス各参(かくさん)。※ふりではない

Github
各参

Qiita teamとか振り返ってみると、なんかすごい遠慮してる感じ…(1月半ば〜3月)

入社してすぐはあまりにもコード書けなくて、このままではあれですね的な面談を受けつつ社内向けの機能をリリースしたりしてた気がします。

private APIをいじって、クライアントも準備してみたいな感じでチームをまたぐ開発をしました。一歩一歩調べつつ。

コードの実行を途中で止めてデバッグする、というのを最初に教えてもらっていっぱい止めて動きを追いかけてました。

一方でどういう書き方がいいものか他社のコーディング規約を読んだりしたり、リファクタリングの本読んだりしたものの、
・cookpadコーディング規約

周りの人に相談してやっぱ手動かさないとどうにもならんよねってことで基礎振り返りつつとにかく写経してたっぽい。
・パーフェクトRuby(再)
・楽しいRuby
・パーフェクトRuby on Rails

あと、メタプログラミングRubyとか読んでて、よくわからんかった。

2015年10月10日に新版発売。

転職3ヶ月経った直後の記事、こちら

ただ、なんかこの辺りのQiita teamの記事1つ1つに空回り感というか、できない負い目みたいなのを感じられて胸がすごい苦しくなった。

まわりを頼れ!!!(4〜5月)

上でも触れたものの、なんかこうできない自分の負い目で過度に遠慮してまわりにあまりもの聞けないみたいな時期があって。

もちろんコード書くのはまだまだだったものの、それ以上に仕事のスタンスとしてある程度調べてわからなかったら周りに頼って聞く。自分で調べてどうにかするのが大事なんじゃなくて、ちゃんとリリースすること、聞くことを通じて爆速で成長することが大事やから!っていう話をしてもらった。

その流れもあって全社の朝会と社内イベント企画みたいの担当させてもらうことになった。

そこから少し肩の力が抜けて変わり始めた気がします。

この時期は
・Railsチュートリアルもう1周
・リファクタリング案件向けにEveryday Railsもう1周
Code SchoolのRubyシリーズ講座毎晩
・お決まりの書き方が知りたくてRails3レシピブック
Growing Rails Applications in Practice訳して読んだ
をやってました。

やることががらっと変わる(6〜8月)

紆余曲折を経てチームが変わりました。それまで馴染みのあまりなかったseleniumをたくさんたくさんたくたくさん触って、コードを書く量は少し増えたと思います。

それにプラスして、同じ技術を使って他のチームをサポートするコードを完全に自力で書き、その過程で技術選定もやってみました。

それまでは既存のコードに足して機能を追加したり、リファクタリングしたり、バグ直したり、調査したりと一から書くことはあまりなかったのでものすごい勉強になりました。

通常業務にもだいぶいい影響があったり、もう少しインフラ周りも勉強しないとと実感したり。

そのとき一番お世話になったのがこの本でめちゃくちゃ面白かったです。

それと、Railsチュートリアルよりももう少し実践的で具体的なサンプルあるもの写経したいと思ってこの本やりました。

プロジェクトでも目にするような設計になぜなっているのかシンプルな作りのものを作り変えながら進めていくのですごいよかったです。これはもう2周くらいしたい。

続編はKindleのみ。

あとseleniumの基礎とQAについて。

自分が主に育てていく領域をもつ(9〜10月)

新しいチームにも漸く慣れ始めてきたとき、それまで使ったことのない、型のある言語でクライアントアプリを書くことに。

わからないながらも短期間であほほど調べて何とかリリースを重ねるうちに、いつの間にがこれまでで一番大きな開発をやることになっていました。

まだ出たばかりのものを引き継いで、単にコード書くだけでなく拡張性を考慮して設計したり、修正のフローやサポートのしかたを考えていく楽しいプロジェクトです。

周りには何年もプログラミングを経験している人がいる中で思い切った開発させてもらうにはきっと社内に知見がそんなにない分野でもオーナーシップをもって諦めずにやりきるしかなくて、チャンスがあれば食い気味に案件取りに行くしかないと思っています。

そうやってもらった案件には愛着しかなくて毎日楽しいです。

最近はこの本も読んでて、本当に楽しい。

ある程度馴染みのある分野ならなかなか手を出せなかったJavaScriptとも仲良くなれるかも…という淡い期待があるからこその楽しみですが、QA的な分野にも活かせたらなぁなんて思っています。

ただ、やっぱりJavaScript書くならがっつりフロントやりたくてまだまだ距離あるなぁと感じつつ。

今の案件だとそこまでフロント書く感じではないですが、apiがっつり触れるタスクやらせてもらって詳しくなった上で、それ使いこなしてフロントへ…みたいな流れになるようお仕事もらおうと企んでます。

そういう意味だと.NETのWPFがけっこうイベントイベントしているので前よりは理解しやすくなってるのではとも期待しています。

身に付いたこと

という流れでこの1年で何が身についたんでしょう?

Rubyの基礎

・とりあえず今やりたいことは普通に調べて出てくる程度のメソッドでやりくりできる程度。
・メタメタしていると一切理解不能。

Railsの基礎

・処理の流れはbinding.pry挟みながら何とか追える程度。
・Railsコミュニテイで盛んな設計(formとかpresenterとかserviceとか)は何となく真似する程度。
・いやでも画面とかフロントエンド絡むと途端に手止まるなぁ…

まとめると、処理の流れは何とか追って既存のコードの真似して何とかコード書いているものの、設計思想とかパターンへの理解が曖昧で書くのも読むのもいまいち確信が持てない状態。

フロントはからっきしダメ。

直近身に付けたいこと

オブジェクト指向

・C#書いててどかっと新しい機能足すときに「ザ・オブジェクト指向」なところで完全に手が止まる。

設計

・こういうときはこういう設計するよね、みたいなの知りたい。
・なんでこういうフォルダの切り方するの?みたいなの普通によくあるデザインパターンだったみたいな事例があった。

フロントエンド

・この期待感を形にする

まとめると、少し実装は追えるようになったきたからこそなぜそうなっているのかを理解して自由度を上げたい。

身につけるべきこと

あれもこれも多すぎてもはや分野列挙することしかできない…
・CSS
・テスト
・SQL
・UNIX
・DB、モデリング
・git
・コンピュータのしくみ
・セキュリティ
・ネットワーク
・サーバ、インフラ

うわぁ…テストとCSSはさすがに情けなくなってきたので早めに…

まとめ

できるようになってきたかも…!みたいに思い始めてきたことって単にひたすら似たようなこと繰り返してるだけで以上でも以下でもないです。

だからこそ特定の分野は割り切ってその期間ひらすら没頭して成果を上げて、新しいことできる機会があれば絶対逃さないの繰り返しの気がします。

なんとなく全体感の中で足りないこと、足らせたいことは意識しつつ。

結局最高に気持ち良く没頭できることがしたい、できるようになって気持ちよくなりたいに尽きる。

10月18日(日)

転職してから9ヶ月とちょっと。そして何より面接を受けて1年が経ちました。

Wantedlyで話を聞いてみたい!みたいなのを押したらどこよりも早く返事がきたfreee。

早速オフィスに言ってカジュアル(半)に話を聞き、面接を受けてみることに、みたいなやりとりしてたのがちょうど10月の半ばでした。

当時、こんなサービス作って〜みたいな感じで話していたサービス、今コード見てみたら何書いてるのかわからないというか何も書いてなくてよくこれでエンジニアなるって言ったな!笑みたいな気持ちになる。

けど当方はそれでいて楽しくてしかたがなくて、先方はよくわからんが目を輝かせて何か言ってる若者に何かしら可能性を見出したんやからもうええやろって思う。

職業としてのエンジニア

営業(というラベルのついた何かしらの仕事)をやりつつ、週末や平日仕事から帰ってからコードを書く。人と一緒にサービスを育てる。

限りある時間の中で精一杯やってきたものの、これから仕事でやるのとまた違うはず。

学生を終えて社会に出る直前に見た、ビジネスも作れてプログラムも書ける人への憧れ。

会社から提示された条件は何の心配もなかったと言えば嘘になるけど、それ以上に自分の憧れるエンジニアになれるのか、職業としてのエンジニアに違和感なく没頭し続けられるのか。

そっちの方が遥かに本質的な関心事項でした。

1年経って

実際どうやろう。

まず仕事を仕事と感じずにしている感があります。

もちろん、リリースの日はリリースの日だし、サービスを守り、未来を築いていく責務はあります。

駄菓子菓子、かつてプログラミングに感じていた、小さい頃1日無心で組み立てたレゴとか、発表会の前だけひらすら練習したピアノとか、そういう類の没頭感。

週末プログラマーのときに感じたものはそのままに、体力的に問題なければずっと触れていたい程度には好きみたいです。

よかったよかった。

憧れ

エンジニアであることに違和感ななくとも、憧れのエンジニアになれているか。

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それは何重にもダメなところがあるなぁと思ってます。

「自分の手でサービス作れる人かっこいい!」という憧れは目指すには必要な要素が多すぎるし、具体的に考えてもないし。

「技術寄りでサービスを考え、作り、変え、大きくしていくことができるエンジニア」になりたい!!とか言ってエンジニアになったものの、それが測れる程度に考えてもない。

それゆえ漠然と成長足りてないなぁとか思うのはそれ自体ダメダメやなぁと思うものの、1年経ったらもう少し色々できるものと思ったのも事実です。

闘争

だからこそ目の前のお仕事しっかりやる!分野好き嫌いせず!というのは当然としてプラスで色々やってみたいと思いやってたりやってなかったりします。

メンテ系のタスクが重なると、コード自体は書くしプルリクもいっぱい出すしで仕事している気になります。

エラーでサービス受けられない人減らしていくのそれはそれで大事。

でもより大きな価値を届けたり、エンジニアとして成長するにはそれだけでは足りない…

そういうわけでいろいろと。

・他のチームのお仕事請け負う
メインのタスクには絶対支障出さない!絶対!絶対出さない!!という(個人的な)約束の下で1つのプロジェクト。

メインのタスクと近い分野でも、そこまでの設計にする必要なかったり、そもそもメインのタスクのアーキテクチャってなんでそうやってるんやっけ?みたいなことを調べたり、技術選定したりしながらほぼ一から構築。

コード書けばとりあえずは目の前の成果が出るという劇薬的な性格も相俟って、最初の方は土日も朝手つけ始めて気づいたら夜だったみたいな感じでした。

7月末に声をかけてもらって、「試しでやります!やりたいっす!」と言ったもののほんとにできるかわからず、無理なら外部に…みたいな状況だったので、なんとか形にできてよかった。

新しく立ち上がったプロジェクトがいい感じに進んでいくのは最高だし、日常のタスクにもいい影響があって、何というか
ほんとにやってよかったです。

・予約管理システム請負
社外案件ですが、できないかなぁ?みたいな話があり。上のとは若干毛色が違って、一から設計して業務システム作って運用まで持っていくみたいな機会なかなかなさそう!的なもの。何があっても本業優先という条件付きで受けようとしたものの、当面は無料のシステム使うことになりいったんペンディング。

作りたくなりがちではあるけれども、ユーザが気持ちよくサービス受けられて事業運営がうまくいくのが本旨。無料システムが思うようにいかなければ改めて一から構築する意義があるし、そもそもの業務フローってどうなんでしょ?って話もシステムありきでなくできると思うので見守ってます。

・新しいプロジェクト
これはメインのタスクですが、自身の経験の無い技術を使用しているかつ立ち上がりたてのプロジェクトを引き継いでサポート体制含め作っていくみたいなプロジェクトにアサインしてもらいました。

数字を見て改善しながらサービスを作り、変え、大きくしていくってまさに自分がやりたかったことで、経験豊富なエンジニアがたくさんいる中で携われるとは思ってませんでした。

だからこういう案件が並びでは、何としても新しいプロジェクトはやり切って成功させたいと思ってます。

成功させた日には少しだけ憧れのエンジニアに近づいてる気がします。

前回の記事の最後に触れた次の目標はまさにこれ。

は?みたいなこともなくはないし、触れたこと無い技術ではまったときの絶望感はすごいけど、求めた場所で理想的な挑戦ができて幸せやなぁと思います。

ひと息

同じように自身のアウトプットに不足を感じている人がいて、話していたら、
今週はここまでできたらOKとか決めて毎週振り返ったら少しでも進んでる感もあって健全!自分を認めるのも大事!
というすごく前向きな意見をもらいました。

素敵やと思います。

ただ、週次のまとめで、あれ?今週俺なんもやってない風?みたいにならない程度の客観性も確保してがんばりたい〜

8月1日

転職してまるまる7ヶ月。8月1日付で正社員になりました。

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民主党テレビCM女性の味方編「夢は正社員になること!」が女性をバカにしていると話題により

昨年この画像が話題になったときにはさすがにうっ…と思うところがありましたが、今日言いたいのはそういうことではない。

試用的な期間が終わるとか、契約社員から正社員になること自体とかそういう話でもなく、僕がこのステータス変更に持たせた意味がとても大事なので書かずにはいられないのです。

契約社員スタートとしての「転職」

2015年1月1日、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きはじめました。

ただ、働き始めたと言っても制約つき。契約期間は1ヶ月。1ヶ月経った時点でその後の処遇を判断。

そんな条件でのオファーを受け取ったのは2014年10月末のこと。

正直迷いはありました。

・成果が出ないとさよならってこと…?
・自分がそういうステータスであることを自分は受け入れられるのか…?
・親にこれはさすがに言えない…
・いくら未経験って言ってもなんか安売り感があって嫌だ…

何でもやります!内定ハッピーハッピー!と口先では言いつつも、手放しでは喜べない。でもそう思ったのも実際は束の間で、これはある意味自分が目立つチャンス(つよがり込み)と思い、方手放しくらいで歓喜しました。

・成果が出ないとさよならってこと…?
→なんてスリリングなんや!それまでぬくぬくレールに乗ってきただけに、一歩踏み外せばアウト的なの乗り越えたときの自分、かっこいいうぇーい!
・自分がそういうステータスであることを自分は受け入れられるのか…?
→(主に親世代とか一般的な就活を通ってきたような層にっとての)ブランドや待遇(主に給与、もらえるにこしたことはないけどそれより得たいものに出会えた)より価値を置いたものは何だったのか。それはエンジニアとしてバリバリコード書いて、自分が支えたい人を自分もプレイヤーとして支えること。ステータス云々にこだわるのは人生の無駄。
・親にこれはさすがに言えない…
→言わない。
・いくら未経験って言ってもなんか安売り感があって嫌だ
→たいていプライドの向こうに自分の得たいものがあるのでプライドにこだわるのは人生の無駄。

そして何よりも。職業としてはじめてやるエンジニアという仕事。やるなら突き抜けたいけど、とても好きだけど、ぶっちゃけ伸びるかわからない。やってみないとわからない。

ならやってみよう。この程度のハードル越えられないなら何やってもどうせできひんねんから。いくらでもハードル設けてくれ!!

更に、
・IVS界隈のスタートアップで働けること
・最初はバイトでもいいと覚悟していたこと
・創業2年のスタートアップにも関わらず教育投資してくれること
等もあり、他社の選考は内定時点で完全に辞退しました。

色々な会社を見るのも新卒就活時とまた違った楽しみがあるものの、自分がフォーカスすべきはそこではない。

1ヶ月経過。待っていたものは…

入社以前にも課題に取り組み、悲壮な顔をした正月を過ごし、とうとう入社。

駄菓子菓子、入社3日目。あまりにもコードが書けず、このままでは…という面談。週末にも同様の趣旨を定例MTGで言い渡される。

趣味でコードを書くのと職業でやるのはそりゃ違うやろ。前進あるのみ!

とは思うものの、入社1ヶ月 + 1日目が来ない夢をたくさん見ました。

そして1ヶ月が経とうとした頃、面談。

お、とうとう正社員登用かと思いきや、

次の契約期間は6ヶ月。他のエンジニアと同じく戦力になれるくらいに。また契約期間末で判断というお話に。

もはやこういうとき、どんな顔すればいいのかわからない状態です。

定量的な基準ではなかったものの(なかったからこそ余計に情状酌量的な余地はあったはずなのに)、成長速度的なものからの「コイツはヨソへやってはいけない!」という強烈な焦燥感だったり、「不完全であるにせよ、短期間でこんな成果出すなんて…」みたいなインパクトだったりを感じさせることができなかったわけです。

少し余談。その数日前、2月からの体制図に自分の名前が無くて泣きそうになりました。

自分やっぱ甘いなぁと。

駄菓子菓子、ないのもそのはず。そのときから僕の名前はNyanchuと表記されるようになったのです。

苗字も名前も被ってしまう人たくさんいますゆえ…

異動

いくつかの調査だったり、リリースだったりを経て迎えた4月。

エンジニアの人何人かが僕を囲んでアドバイスをくれるという会が発足。

コードは少しずつ書けるようになってきたというフィードバックをもらってほっとしたのも束の間。それ以前の働き方そのもの指摘が入り、しかも内容が5年とか10年とかのスパンで負い目を感じていることでした。

当然改善。が、次のフィードバックの結果の詳細はさておき、まとめると別のチームで頑張ったらより結果を出せるのではというもの。結果的には1月末と似たような思いをすることになりました。

そこから2週間弱というもの、社内の色んな人を1人1人捕まえてランチに付き合ってもらい、いろいろと話を聞かせてもらったり聞いてもらったりで考えを整理しました。

その最中の社内イベントの幹事でけっこう酷だなぁと思うこともありました。

7月の社内合宿の企画なんかは、企画だけして実施の頃には最悪自分いないのでは…何やってるんだ自分は…みたいなことを思う時期もありました。

駄菓子菓子、社内イベント類の幹事だったり、5月頃?に拝命した全社的な朝会の司会だったりは非エンジニア要素ではあるものの、大事な要素だったように思います。これについてはまたいつか。

6月、そして8月

紆余曲折を経て前述とはまた別のチームでの開発が始まりました。

そういう系ではもう動じない気がしました。

それまでとはまた別の技術に四苦八苦しながらも少しずつキャッチアップし、6月下旬の面談では8月から正社員というお話が…

当初の要件の「他のエンジニアと同等の戦力」だなんて酔っ払っても絶対に言えないです。駄菓子菓子、技術の絶対値以外に認めてもらえる要素があるならそれは自覚的に大事にすべきだし、持ち味になるまで育てたい。

そして、これまた何度も見た契約期間1ヶ月 + 6ヶ月を越えられない夢を打ち砕けたのは未経験の僕にチャンスを与え、ありえないほどのコストを割き、レビューし、アドバイスし、育ててくださった社内外のみなさまのおかげ以外の何物でもないです。全力で感謝して、胸をはって8月からのエンジニア生活を送りたいです。

過度に自己肯定感を下げた風でいるのは支えてくださった方々に失礼。

でもやっぱり

成長足りてないというか、方向定まってないというか…ちょっと前まで1日、1週間が一瞬だったのに最近そうでもないのも気になる。

そもそもコードを書くこと自体楽しいし、会社は楽しいし好きだし(吊り橋効果経た感もある)、とりあえず何をやっても楽しい!箸が転げても面白い!みたいなところがあります。

けど、エンジニアにも色々タイプがあると思うし(技術的分野でなくて性格とか人との関わり方とか)、チームもいろいろあるし、技術・分担もいろいろあるし、価値を届ける先もいろいろあるし、当然何をやるにしても突き抜けたいしそうでないならやらない方がまし。

その中で日々焦点定まらずふわっとしているのは相当もやもやするし、何でも引き受けるにせよ自分にとっての意味づけはやるべきだし、入社半年時点で書いた記事の

結果を求める手段としての技術との距離感を測りかねています。

というのは根深い気がする。そしてその記事上で「やるべきこと」として書いてることは正しい気がして実践しているものの徹底できていない。

あと、これ読んだり、先人の方々の姿勢を見ていると「勉強する!」みたいなスタンスほんと間違ってるんやなと思う。

だからこそ社内外で来ているオファーやり遂げたい。

何はともあれ

できてないと思うことのが多いけど、できたこともある。

入社初日にダルマに込めた目標(ねがい)は1つ達成できたので静かに目を入れてやりたい。

DSC_0564

次の目標が退屈そうな顔して待ってる。

We' re hiring!

trippieceのCEO、石田言行(いしだ いあん)が本を書いたと聞いて、本くださいとお願いしました笑

というわけで扱い的には生まれて初めての献本。

僕はこの本で言う2012年2月の「trippiece」の成功を決定付けた旅からのユーザで、その体験があまりに刺激的で、鮮明で、楽しくて海外旅行に行くようになったユーザだ。

なので、この本でもメインテーマとして描かれている名前の由来(とそこから導かれる信念のようなもの)は直接聞いたりブログ()で読んだりしてた。

それでもやっぱり知らないことがたくさんあって、ユーザには見せず乗り越えてきたたくさんのことや思いに触れて、本の向こう側にある心境を覗いてみると自然と目頭が熱くなってきた。

そういう本を紹介するとなると過剰に力んでしまってうまく言葉にできないかもしれない。

だから最初に結論を書いてしまうと、20代は負けでいい。新しいことに挑戦し続けよう。多くの人にとってたりない才能とは「高い目標を立て努力を続ける才能」で才能を埋めるための魔法のような言葉が「言行一致」であるということ。

僕が書いたところで文脈が全然違うものになってしまうが、石田言行がどんな男で、どんな思い出、どんなことを成し遂げてきてきたのか。それを知りながら読み進めれば上の言葉はきっとあなたの胸に響き、挑戦しなかった過去を悔い、新たな一歩を踏み出すことになるでしょう。

紹介はここまで!後は本の内容を紹介しつつ、自分が感じたことなどを書いていきます。

trippieceのこと

最初に触れた通り、僕は2012年、trippiece2周年直前くらいからのユーザです。

初めての旅がペルー・ボリビア1週間の旅。

5年間の大学生活の終わり、卒業旅行。どっかめっちゃ遠いとこ行きたい!と思っていたらtwitterでtrippieceとかいうところが40数万円で南米まで連れてってくれると。

でもヤバい!締め切り翌日!夏に親に借金して留学行ったばかりで貸してとか言えないし、1日で40数万円どうやって集めよう…という嘘のようなホントの話がスタートでした。

そのときのブログ(旧)、1日目。

trippieceで行くペルー・ボリビア11日間の旅 ~1日目 豚になったような気分~

言行のブログにも伝説の社畜を目指すすぎちゃんとして紹介されている…笑

このツアーは2回に分かれて行われ、僕はたまたま言行と一緒の組でした。

学生とは思えない落ち着き、交渉力、しかも社長!?この人すげーと思いながらただただお世話になりました。

どんな思い出そこにいたのか、知る由もなかった…

ちょうどその旅のこと、鮮やかに本に描かれてたのでそのまま載っけます。

 参加者は34人。初めて「trippiece」として20人以上を集客することができた。34人を2つのグループに分け、ひとつに僕が参加し、もうひとつのグループにブラジル・スペインに留学経験のある友達とチリで育った友達が参加してくれることになった。

約2週間を見ず知らずの人たちと過ごすことになる。成田空港に5時間前に入り、ドキドキしながらほかの参加者を待っていたのをよく覚えている。ましてや行ったことのない南米だ。

アメリカを経由し、ペルーのリマまでほぼ丸1日。アメリカのトランジットで時間がギリギリになり、ダッシュするトラブルがありつつも、リマに着いた。到着した日はすでに遅かったため、ホテルにチェックインをして就寝。早朝に眠い目をこすりながら、マチュピチュに行くためにクスコという街へ飛行機で向かう。1時間ちょっとも経つと、険しい山々の合間に、街が出てきた。上空から見ても、きれいな街並みだった。クスコはインカ帝国の首都で、世界遺にも登録されている街である。特に、夜の街灯が照らす街の景色は最高にキレイだった。

次の日、いよいよマチュピチュに向かう。インカレイルという列車の駅があるオリャンタイタンボという街まで四駆で1時間半くらい荒れた道を走る。みんなは連日の疲れで爆睡。寝ているうちに、オリャンタイタンボ駅まで辿り着いた。
駅に着くと、マチュピチュに向かう人たちで賑やかだった。日本人も少なくはない。全体の2割くらいが日本人だった。さすが、行ってみたい世界遺産ナンバーワンを獲り続けているだけはある。
インカレイルは予想以上にきれいだった。列車の屋根もビスタドームといって、一部がガラスになっていて、360度の景色を楽しむことができた。車窓から見える渓谷や行商やトレイルをしている旅人たち。約2時間の鉄道の旅は、みんなでお菓子を食べて、お酒を飲みながら過ごしていたらすぐに過ぎていった。マチュピチュが近づいてきた。
マチュピチュ村に着く。もっとなにもないところかと勝手に想像していたが、こじんまりとはしているものの観光客向けにたくさんのショップが並んでいた。マチュピチュには、麓の村からさらにバスで30分ほどかかる。落ちないかとヒヤヒヤする、バス2台分の幅もない道を登っていく。思わず手すりを強くにぎる。

次の瞬間、マチュピチュの姿が見えてきた。見えた瞬間、バス中に歓声が沸き上がった。頂上に着き、入り口をとおると、インカ帝国の遺跡が目の前に広がっていた。写真で何百回と見たマチュピチュが広がっていた。
クスコの街並みにもすごく感動を覚えたが、マチュピチュはここまで来た苦労も重なり、感動は倍加した。みんなが思い思いに写真を撮った。

そして、この旅の終わり。数日後、「死ぬまでにいきたい絶景」として名高い、ボリビアのウユニ塩湖に辿り着いた。待ちに待った絶景が目の前に広がり、涙する。各々、旅行前に考えていたポーズで写真を撮る。美しい景色がどんな写真をも見事な1枚にする。
この1年の苦労が報われた気がした。自分のサービスを使って、地球の裏側まで、ユーザーと一緒に行って、こんなに楽しむことができるという幸せに浸った。
ちなみに前の日程で出発したもうひとつのグループは、僕の参加しない初めての海外ツアーになった。正直、集まってうれしい以上に、なにか起こったらどうしようと不安ばかりが募っていた。
しかし、心配は杞憂に過ぎなかった。多少のトラブルはあれど、12日間の旅が無事終わった報告を受けた。twitterで「 trippiece」と検索すると、「旅はだれと行くかだね。めちゃくちゃ楽しかった。どうにかなってしまいそうでした」「みんなで共有できたことがなにより最高だった」といった感想にあふれていた。
それまで、耐えに耐えてきた想いがあったのだろう。気づけば頬には涙がつたっていた。しばらく、涙ばかりがあふれてきた。ここまで起業して約1年。うまくいかないことばかりだった。僕の伝えたいことが伝わって本当にうれしかった。

この直後に書いてある、「もっとも大事なことは、目にした絶景ではなく、だれかと共有し、感動した体験なのだ」という言葉。ここにtrippieceの魅力が凝縮されていると思います。

初めてではあれ、同じ目的を持っていた人が集まり、旅へと出かける。

初めましてで始まり、また飲もうなで終わる旅。

絶景はもちろん素晴らしい。一人旅も悪くない。それ以上に常にハイでいられる仲間と乗り越えていくトラブル笑とか、そういうよくわからんものが何より楽しい。

僕は高まると文章を書きたくなるので、毎晩毎晩ブログ書いていました。

人生の中でも最高級の旅の思い出でした。

そういう旅ばかりと思いきや、バンジージャンプ、スカイダイビング、カラーラン(にみんなで一緒に行く)等々、1日から気軽に参加できるアクティビティも充実しています。

trippiece
RETRIP

言行のこと

そんなtrippieceを率いる石田言行(いあん)。誰もが最初は変わった名前やな〜と思うと思うんです。

そこに込められた並々ならぬ想いに触れると名前が愛おしくなります笑

" target="_blank">ブログの方から拝借。

言行へ

 パパとママは、キミがどのような思いをこめて「言行」と名付けたのか。将来、これを読んでくれることを楽しみにして、生まれたてのキミに書き記すことにしました。
 キミの名前は、パパがつけました。それは、キミがまだおなかにいるときに、生まれてくる子が男の子だったらパパが、女の子だったらママが名前をつけようと決めていたからです。(ちなみにママは、女の子が生まれたら「未来」(みく)と名付けるつもりだったようです)(パパは、絶対に男の子が生まれてくる、と確信していましたし、熱望していたのです)
 では、パパが「言行」と名付けた理由をこれから話しましょう。パパはまず、名前を考えるにあたって、3つの基準を持っていました。それは、

①とにかく人と違う名前であること(いうまでもなく、名前はいちばんの個性ですから、目立つほうがいいと思っていました)②外国人も呼びやすい、インターナショナル名前であること(キミが外国にいったときに覚えてもらいやすいように)③そして、名前に意味があること(単なる当て字や語呂合わせで意味のないものだけは避けようと思っていました)
 以上の3点です。

 そして、これらの基準は別にして、パパは、男だったらこうなってほしいな、という理想像を頭に描いていました。それは、“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。実は、キミの名前が決まってのは、この“男の理想像”を考えていたときでした。
 ふと頭の中に、とつぜん、パパが子供のころに好きだったテレビ映画『0011/ナポレオン・ソロ』のふたりの主演俳優―ロバート・ボーンとデビッド・マッカラムの顔が浮かんだのです。そして、このふたりの俳優を思い出した次の瞬間に、キミの名前は決まりました。
 「イアン・フレミング・・・・・・。そうだ、イアンがいい!!」 イアン・フレミングというのは、イギリス人の作家で『0011~』をはじめ、有名な『007シリーズ』の原作者です。
 『0011~』は、パパが3~4歳のころにやっていた作品です。なぜそんな幼いときの記憶があるかといえば、それはきっと、パパとパパのママが、当時ブームだった秘密情報員(要するにスパイ)が登場するテレビや映画が大好きで、一緒にみていたせいでしょう。だからこそ、イアン・フレミングという名前がすぐに思い出せたのだと思います。

 イアン―――いあん。瞬間的に、名前はこれしかないと思いました。
 名前をつける基準と照らし合わせてみても、①の“人と違う名前”も②の“インターナショナルな名前”もクリアーしています。
 なにより、パパが願う“理想像”としても、イアン・フレミングが自分の作品に描く男は『0011~』に登場するソロ、イリヤ・クリヤキン、『007』のジェームズ・ボンド――いずれも“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。
 こうして、「言行」という名前は、はじめに文字からではなく、「いあん」という音が先に決まりました。そしてその次に残る基準の④を満たす“名前に意味がある”文字を考えたのです。

 「言行」は「言」を「い」と読むのも、「行」を「あん」と読むのも、どの国語辞典を探しても載っていないと思います。しかし、どちらも当用漢字ですから、「言う」、「行脚」、「行燈」などと一般的に使われているように、決して無理な読みかたではありません。
 でも、パパにとっては、辞典に載っていようといまいと、「言」を「言葉」として、「行」を「行動」という言葉の意味として、それぞれの文字が必要だったのです。
 つまり、「言行」という名前は、「言葉と行動」という、パパが最も重要だと思っていることを、ひとことで表したものなのです。

 「言葉」について――。
 いうまでもなく、人間は、たったひとりの力では誰も生きてはいけません。毎日の食べるものも、着るものも、勉強することも、スポーツを楽しむことさえも、他人の助けを得なければ生活することのできない生き物なのです。そのために、人間には、地球上の動物で唯一“言葉”を話す(会話)という能力ができたのです。
 ですから、言行には、自分を支えてくれるすべての人との会話を大切にしてほしい。
 会話によって、キミが相手に助けられることもあれば、キミが相手を助けることだってあるのです。相手が黙っていたら、キミはその相手を理解できないのと同じように、自分が言葉を発して意志を伝えれば、相手はキミの存在を確認してくれる、ということです。
 要は、間違ったり、失敗することをおそれずに、キミの心の内を言葉として話してほしいのです。

 「行動」について――。
 パパの座右の銘は、“前進なくして進歩なし。命をかければなんでもできる”というものです。これは、パパのパパから学んだ石田家の“座右の銘”でもあります。パパは、うまく事が運ばない時や、悲しい時など、いろいろな壁につきあたった時に、この言葉を思い出しては心の励みにしてました。
 人間の心というものは、このような悩んでいる時には停滞しているのです。だから、何かを解決した、とか、壁を抜けだしたい、と思ったら、前へ前へ、と前進するのが、いちばんの方法なのです。そして、ひたすら努力をする。
 人間、命をかけるほど努力をすれば、できないことはなにもありません。もしできないことがあったとすれば、それはまだまだ努力が足りない、ということなのです。
 これは、簡単にはいえますが、実際はものすごくつらく、大変なことです。努力しないことへの言いわけは、自分自身でいくらでもつくれますから。でも、結果がすべて自分に還ってくるのも“前進”と“努力”です。
 言行も、いつか壁につきあたったら、この言葉を思い出してください。そして、とにかく行動しつづけることを忘れないでください

一九八九(平成元)年九月二十四日 記

変わった名前であるがゆえに小頃にはからかわれたり嫌なこともあったようですが、この上ないルーツ。

名前負けしてないとは端から見た感想で、本人はまだまだと思ってるっぽい。

いい意味で読者への挑戦的なメッセージが多いけど、その度に自分はそう言う資格があるかわからないけど的な入りで、それは群衆向けの言葉ゆえの配慮なのかもしれないけど、そういう面なんか彼らしくてニヤニヤしてしまいました笑

新しいことに挑戦し続けるということ

全体的にこの「新しいことに挑戦し続けるということ」に対して畳み掛けてくる。

これでもかってくらい笑

でも、それは自信の経験から出た言葉であったり、家族の思い出あったり、大学の恩師や先輩の言葉であったり、先輩起業家の言葉であったり、過去の偉人の言葉であったり。

でもやっぱり、言行自信のこの言葉が一番響くのでやっぱり引用したい。

今、どれだけあなたが負け続けていたとしてもかまわない。「大言」を掲げ、黙々と「実行」していくことを諦めなければ、起業家にだって、一流にだって、なににだってなれる。最後には、勝てる。負け続けている僕自信も、そう信じている。
 多くの人にとって、足りない才能とは、「高い目標を立て努力を続ける才能」だと思う。そして、その才能を埋める魔法のような言葉が「言行一致」という言葉なのだ。

これだ。ほんとにこれだ。

人生はなにもしなければ、当たり前だがなにもない。つまり、意味付けしなければ、無目的なのが人生だ。

人生を賭けるのに値するのは夢だけだ

僕は転職して、小さい頃言ってたのと全然違う、大学の専攻とも微塵もかすらないプログラマーになった。

サービス自らの手で生み出すエンジニアかっこいい!俺も何か作って世界変えてやんよへへん!みたいな思いからだ。

とはいえ、最近は中高生でも尖ったプログラマーは相当数いるし、基礎・学のあるプログラマーとかインターンでも足元に及ばない…

そんな中思っていたよりも成長が速くないし、仕事でやる以上優先すべきこと(分野)もあるし、けっこうしょっぱい。不安にもなる。

それでもどうにかしてやるという勇気が湧きました。

無難に着地させようとしたら失敗もないのかもしれないけど、成功もない、なんでもないような20代を終えてしまう。

小説を読みました。

内容にも触れてます、お気をつけて。

パラレルワールド系恋愛小説。

電車の時間は大体技術書を読む、読まざるを得ない、読みたい。

ただ、電車の乗り換えの関係で1駅しか乗らない短い時間、寝る前は技術書じゃない本を読む。

前置き

ゴールデンウィークには森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』を読んだ。

{ 先輩: ♂, 後輩: ♀ }の2人の主人公の視点で交互に繰り広げられるこの小説も恋愛調節なのだが、先輩の必死さ、後輩の無邪気さ、舞台である京都の雰囲気、コミカルさ、想像上の視覚の色鮮やかさ、そして何よりも最後に包まれるほっこりとした雰囲気に改めてたまに小説もいいなぁと思った。

はじめて森見登美彦さんのは大学生の頃で『太陽の塔』というお話。

当時ものすごい失恋をして、半年くらい立ち直れなかった気がする、そんな状況で読んだら吹っ切れられたような気がする、そしてこの作者ふられた人に教えてもらった気がする。

どこまでも面倒見がいい。

恋愛とか恋とかのなんかこうきゅっとなる、そういう世界から遠のいていただけに、夜は短しは久々にグッときた。

次なに読もう?

そう思った矢先、Facebookでこの本のリンクをはっている方がいらっしゃったので何となく買ってみた。

最後のページにはこう。

京都の美大に通うぼくが一目惚れした女の子。高嶺の花に見えた彼女に意を決して声をかけ、交際にこぎつけた。気配り上手でさびしがりやな彼女には、ぼくが想像もできなかった大きな秘密が隠されていてーー。「あなたの未来がわかるって言ったら、どうする?」奇跡の運命で結ばれた二人を描く、甘く切ない恋愛小説。彼女の秘密を知ったとき、きっと最初から読み直したくなる。

いかにもな感じ。

これ、オチ言ってるやん…秘密知った上で読んだら、読み直すも何もないやん…

そう思いながらページをめくり始めた。

最後の方にはもう大体枕に顔うずめて泣いていた。

最初から読み直すことはないけど、最初から読み直したくなった。

一目惚れした女の子は時間が逆に流れる別世界から来た人。話は互いに20才のときに繰り広げられるが、5年経つと{ 男の子: 25歳, 女の子: 15歳 }になる。

女の子の世界は時間が反対に流れるので、女の子には男の子にとっての未来のことしか記憶にない。だから男の子は明日、昨日のきみとデートする。

女の子はこちらの世界に5年に1度、40日間しか滞在できない。

男の子が女の子に意を決して話しかける日こそが女の子にとってのこちらの世界最後の日になる。

男の子が初めて手を握るとき、初めて呼び捨てにするとき…男の子にとってのその1つ1つは女の子にとっての最後でその度に泣く。男の子は女の子がおき忘れた日付が逆さに進んで行く手帳を見つけ、知ることになる。

ふたりの歴史を壊さないために、別れる日に男の子が女の子に40日間すべてのことを話すことを。

そして女の子はその筋書き通りの行動をとることを。

男の子はそれを「演技」だとして一度は愕然とするものの、お互い思いやりは強く…というお話。

「演技」の奥にある、「演技」をしても守りたいもの。大切な相手を愛おしく思う気持ち。限りあるとわかった上で歩んで行く1日、また1日。

そのどれもが綺麗で切なくて儚くて、中くらいの大人が泣いてしまった…。

恋愛という文脈ではないですが、恋愛という文脈ではないですが、恋愛という文脈ではないですが、最近ルームシェアとかしてるといろいろ感じるんですよ。

ただただそこにいる人が「大切」であるという感覚。

自分が引きこもりたいような気持ちのときとか、イライラしているときとかは当然あってむすっとした感じになっているときはあるけども、そんなときですらなんとなく大丈夫だと思えてしまう強さ。

を勝手ながらもらえる。

シェアは一応2年という契約期間があって、それが気持ちに拍車をかけている面もあるのかもしれない。

それでも大学で東京に出てきて以来の一人暮らしをやめ、人と生活するというのは、人として持っていたい感情に気づかせてもらえた尊い経験のような気がする。

小説の話、文脈に戻ると、「演技」から伝わってくる相手を思いやる気持ちがほんとに胸に響いた。

そういうときは無性に文章を書きたくなる。

思いの象徴としての行動は簡単にとれる。仕事でも何でも、仮に気持ちはなくても、気持ちがあるように態度で示せる。

けど、真意として何を守るための行動かで世界の中でその行動が持つ意味は全然違う。

この文脈でこの記事ほんとに出したくないけど、こういうことでもある。

LINE(株)CEOを退任した森川亮氏が明かす!「優秀な人」ほど喧嘩をしない理由

思いを見つめながら生きていきたい。

SIerの営業をやめ、職業としてプログラミングに携わるようになって半年が経ちました。

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SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます

転職して3ヶ月が経ちました。もっと速く修正したい。

いや、経ってしまったとか、経たれた(受け身)とか、そういう感じです。

半年経って何ができるようになって、何ができるようになってるはずだったのにできてないんでしょう。

近況報告

まだ働かせてもらってます。

タスクの期限に間に合わなかったり、思うように価値を生み出せなかったりする度に明日自分はこの会社にいるのだろうか…なんてよく思ってましたが、その辺の心配はもう少ししたらいらなくなりそうです。

その部分は改めて来月くらいに。

6月の2週目から新しいチームで開発しています。

最初の1ヶ月を冷や汗かきながら過ごしたチーム、いよいよ会計に関わる部分に携わったチームに引き続き3チーム目です。

組織の形は会社が大きくなったり、集中すべき部分が新しくなったりするタイミングで最適なもの(を模索しつつ)変わり、人は柔軟に動く。

前の会社では配属以来2年以上ずっと全く同じ(周りは変わりつつ…)プロジェクトだったのでコントラストがすごいですが、もはや何にも動じなくなってきました。

もう何でもやります、喜んで!みたいな感じです。

最初は変化に対して、これからどうなっていくんだろう…みたいなことは多少は思うものの束の間で、行く先にはチャンスしかないことを知る。

まだまだ改良の余地があったり、仕組みが整備途上のものだったり、自分がやり遂げることですごい喜ぶ人がいる。

「もう何でもやります、喜んで!」という言葉は別にそう思ってなくても言えるし、本心でいつかそう言えたらな、みたいな思い出無理無理口にすることがずっとずっと前にはあったかもしれないけれど、今は本心で言えるなぁなんて思います。

フォーカスすべきこと

何でもやるし、誰でも人が喜んでくれたらそれはとても素晴らしいです。

大事なのは、最終的に生み出される価値です。

駄菓子菓子、やっぱり、何でもよくないと思っているし、誰でもよくないと思っているのだと思います。

ただ、それが合理的にであり得るのは、そういう選り好みをすることによって人がより喜び、その喜びと自分(たち)の手段がよく結びついているときだけです。

リスクをとって価値ある大きな挑戦をしようとしている人を自分も一プレイヤーとして支えたい。プレイヤーとしてはエンジニアとしていられたら最高。みたいな感じです。

この自分の核のようなものは本心も含まれているのだろうし、判断基準がほしくて半ば強引に標語化しているところもあるだろうし、脆い。

特に「エンジニアとして」の意図するところが曖昧すぎて大事な部分ですごく判断がぶれています。

というのは、自分の思うエンジニアとしての行為が思ったより発達が遅い負い目のようなものがきっとあること、そもそもエンジニアとしての行為に対する思想な未熟なことがあるのだろうと思っています。

エンジニアって何?技術って何?

エンジニアとして生きる!なんて言うものの、プログラミングは没頭出来てめっちゃ楽しい!くらいの感覚しかないたぶん。

それでも、求める結果を得るための手段自体が没頭できるものであれば、最終的にその手段で生み出せる結果が他の手段でやるよりも高くなると期待している。

期待しているというか、わからないので試しているという状況です。

好きなことやってる方が生命としていきいきしているし、直感的に成果は高くなる気がする。けどそれは直感でしかない。

ただ、それを手段とする、と言っても
・その手段で何をやるのか(アプリを作る、インフラを支える、テスト体制を作る、エンジニアの生産性を高める)
・どの程度頼るのか(ツール作る程度、コードで息をする、運用でカバー、ドキュメントや会話でカバー)

とか、やることなすことものすごい変わる気がする。

今自分は駆け出しだし、とは言え半年でこれというのはちょっと出直してきた方がいい気もするし、人と話すのもドキュメント(文章)を書くのもすごい好きだし、意識しなければコードバリバリ書けてハックできる人、には絶対ならないと思う。

それでいいのか?それでも人が喜べばいいのか?

結果を求める手段としての技術との距離感を測りかねています。

単に技術技術ーと言っていても厳しそうなのは下の記事を読むと如実に感じます。

まつもとゆきひろ氏が「生涯プログラマー」でやっていきたい若手に贈る3つの言葉【特集:エンジニア育成の本質】

さらに、「プレイヤーとして生き残るために必要な3つのこと」読めば技術技術ーとかでわけわからなくならないだろうし、本来の目的だったり、そもそも解決したいものは何か、解決することで人はどうなるのかにフォーカスすることがよさそうというのが伝わってきます。

その上で新しいことはそつなく使いこなして、前提としてコンピュータサイエンスやれと。

コンピュータサイエンスって何の捻りもなく何だろう!!!

自分がフォーカスすべきこと

以上を踏まえて自分がとるべきスタンスを考えると、
・まずはどうあってほしいかを考える
・それを達成するための手段を選ぶ基準として、「今はやや技術に重みをつけて」考える。安易に「ドキュメント書けばなんとかなる!」とか、「根性でなんとかする!」とかしない。
・基礎なるものを身につける。やってるときに焦らない焦らないって10回言う。
・そのときそのときの中核技術をとことんやる。たとえばselenium使うならseleniumラップしたメソッド使うだけでなくで、そもそも何で生まれたのか、どういう実装があるのか、とかまでたどる。

みたいなのがいいと思いました。

技術だけで生きるなんて言えないし、技術だけで生きるのは幻想なんて言ってたら技術身につかなさそうだし、今は多少遅くなっても技術力を高めるべき。

悩むのおしまい。

今年の目標

毎年設定してるはずなのに、今年はしてない。きっとする余裕なかったんやと思う。

そう思いつつも、きっと会社の一員(少なくとも形式的な)として認められることだけ考えていたはず。

次は「これ主に自分が技術駆使してやりとげました!」みたいなのを新しく作るというのをやりたい。

闘争は続く。

今日ほんまあかんわ。そう思って昼過ぎまでボケっとしていた。たまにはそういうのもいいのかもしれない。

そんな日は音楽に浸る。

最近引っ張り出してきたキーボードはイヤホン繋げるので打鍵音くらいしか漏れないし、聴くのは聴くので気持ちいい。

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いつもはですます調で書くけども、それは文章と自分との距離感を保つためで、人に読んでもらう文章をそうであると意識しながら書くため。今日は思うところに より近い言葉で文章を書きたい。
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音楽を長いこと続けている。3才くらいにピアノを習い始めてから、ブランクのようなものや、楽器が変わったり変遷を経て、働き始めたら演奏はやめるかなぁと思ったりしても、それでも日常の中に音楽があり、その音楽のほんの一部を楽器で、自分の手で、自分の声で、けれども人の言葉で続けている。

なぜだろう。

学生のときに入っていらサークルがなんでどうしてなんのためみたいなのがうるさかったので、それを音楽に引っ張ってきて考えることもあった。

mixiとかの日記でも残ってると思う。

そのときはそのときなりに形にしてるんやろうけど、きっと腑には落ちてない。落ちたことにはしている。

今日、先に音楽を続けるということなんてタイトルを先につけて書き始めたものの、着地点は全く見えてない。

だから小見出しはないし、結論的なものはないまま文章が終わってしまうかもしれない。

それでも、自分が飽きっぽいということは置いておいて、20年以上物事を続けるのには何があるのか純粋に面白いのでぐだぐだ書いてみたくなった。

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今日はミスチルの写真展に行ってきた。

20150614

ミスチルの写真展て…

ライブを観る、音楽を聴く。その対象が写真になったところで見に行くことに何の意味があるんやろう。

そう思いながらも、1日中家の中にいるのもなんか癪なので取り敢えず唾棄すべき山手線に乗った。

実際に写真撮った人が会場に来ているらしい。自分にとってはそれほど重要ではない情報だった。

会場を廻ってみると、ライブだったり、リハーサルだったり、ツアーだったり、ライブの名前を冠した写真がたくさん飾ってあった。

行ったライブはそのときのことを思い出し、行ってないライブも、そのセットリストを見たり思い出したりして、自分がその曲をバンドで演奏したときのこと、その曲をよく聴いていたときのことを回遊する。

じんわりと楽しかったことなり、しょっぱかったことなり、胸がきゅっとなることだったりの中に心を置くのはくすぐったいときもあるし、悲しくなることもある。

でも過去志向、結局は虚しい。でもでも、過去に想いを馳せるのにとどまらず、もう一度やってみたい!だったり、あのしょっぱい想いは二度としない!だったり、先を見据えることができるなら気持ち良い。

音楽をするというのは、過去に身をおきながら未来に向かって精一杯走ることの気がしてきた。

音楽自体が人生の主線を占めない場合において。

1つ1つの音楽には差こそあれ、記憶、臭い、まぶしさ、蒸し暑さ、悲しい気持ち、はらわた煮えくり返る悔しさがその音楽の内、外つまり自分を含む環境が織り込まれている。

織り込みながら人生を過ごし、音楽から取り出す。

そしてまた織り込み、ただただ繰り返す。

それならただ聴いてればそこで完結しそうなもんだ。それ以上に、演奏をやめないのはなぜか。

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たまたまミスチルのイノセントワールドを聴いて全てが始まった。

テレビに釘付けになった。

ここまで音楽で衝撃を受けたのはそのときと、初めてミスチルのライブに行って桜井さんが目の前に現れた瞬間(こっちは「音楽」ではない…)くらい。

しばらくして父親からアコギを譲り受けた。

数ヶ月後、いとこの結婚式でミスチルの抱きしめたいを引き語った。

かっこいいか、心地いいか、なんなのかよくわからない衝動に突き動かされて、歌とギターを始めていた。

音楽を続ける、ということについて想いを巡らすとき、いつもこの場面が頭をよぎる。

最近は感情を揺さぶる、琴線に触れる、そんな音楽をやりたい(やらないと意味がない)思いを強くしているものの、その場面の、感情よりももっと奥底にあって自分を突き動かしたもの、本能なのかesなのか、そういう原始的なものが在る気がしている。

音楽を自分から放出することで、その原始的なものをより感じることができる。

ただし、自分の中ではな!みたいなところがある。

過去の音源を聞き返すと、たいてい自分の部分は気分が悪い。

自分の中では気持ちいいはずなのにすごく聴いていて耳障りだ。イヤホン引きちぎりたくなる。

バイブスとか、グルーブ感とか、エモさとかは最低限の技術・品質の上に生まれるもの。

原始的なものの何歩も手前で長年躓いてきた。

けど、原始的なものをこの手で…!

音楽を聴くと、ライブに行くと、その原始的なものに触発されるから一時離れても戻ってくるんやと思う。

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昨年12月くらいに、自分の練習音源を聴いて初めて「これ、それなりによいのでは」と思える歌があった。

これまでとは違う歌い方を教えてもらい、あれこれやってもしょうがいないと思ってひたすら1曲練習した結果だった。

そのライブの後、同じ人の別の曲を練習して半年。また、「これ、それなりによいのでは、前の曲に完成度達してないけど…」みたいな状態になった。

出来心で母親に送ってみたら、よかったらしい。高校のときに気持ちよく歌っていた歌(たち)を酷評されてよくイライラしていたのでくすぐったい。

ただ、それは肉体・技術的に自分の中で納得したというだけで、曲に思いまで乗っていない。そこはつめていきたい。

原始的なものの手前に、人の感情がある。自分で書かなくていい、書けないけど、移入できる歌を歌いたい。

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これからいよいよ本戦が始まる。

次はミスチルの曲に戻ってくる。

秦さんの曲で1年間新しい歌い方を学び、いよいよその歌い方でミスチルを歌う。

秦さんの曲をアレンジしたみたいに、ミスチルを「自分が」歌う。

自分が歌って意味のあるように歌う。

12月のライブでは、スタンウェイのグランドピアノでミスチルを1曲引き語る予定。

上の1行は言いたかっただけ感があるけども、このライブでやる音楽もまた自分にとって大事な大事な音楽になるんやろう。

この過程は本能であり、生きてゆく勇気であり、研鑽の先に喜びを見出すことであり、他の大事な全てのことに通ずる。

6月7日(日)

27歳になりました。毎年、年末年初と誕生日には振り返り、先のことをなんとなく考えるので則ります。

エンジニア編

この1年間

26歳なりたての記事、とにかくワクワクしていて楽しそう。

初めてスクー登壇(ってほどのことはしてない)した日でもあります。

26歳で見えたこと、見えないこと(前編)

26歳で見えたこと、見えないこと(後編)

まだブログ書くの楽しいー!って言いつつ、初めてのサービス開発にひーひー言いつつも、何もかも自分たちで考えて、自分たちで作り上げることにただただ没頭していました。

目標に掲げてた、3つサービス作ってダルマに目を入れるというのもやりきったっぽいです。

そこから1年経った今、職業プログラマーとして目下修行中です。

自分が没頭できるのは何か考えた結果、それはプログラミングだというところに落ち着いて、それが趣味にとどまらず職業になりました。

SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます

なんて幸せなことなんだろうとつくづく思います。

エンジニアとして目指すもの

個人の趣味としてやるにはマジ楽しい!ヤバい!でいいのかもしれません。

駄菓子菓子、人と、チームの一員としてサービスを作るにはチーム開発もできないといけないし、自分が楽しい、だけでは当然済みません。

自分の外、対外的に価値がないとダメです。

その上でエンジニアとして何を目指すのか。

記事では、「技術寄りでサービスを考え、作り、変え、大きくしていくことができるエンジニア」って書いてますね。

・作れって言われたもの作れるのは当然として、どうあるべきかを考えて設計して実装に落とせる
・ダメな部分はユーザの反応(数値)を見た上で変えれる
・ビジネス的な数値を追いながら変えていける

とかを意識してのことだと思います。

目指したいですね。でも、それに必要な技術要素を列挙して、逆算して、身につくように取り組む案件や使う技術を調整する、というものでもない気がします。

今はただただエンジニアとして存在する理由がほしいです。

新しいチーム

6/8(月)から新しいチームの一員として働きます。

一時的なアサインになるかは状況によって変わるかもしれないけれど、そこでいい仕事したい。

そこで身につけた技術をその次(?)のチームで活かして、もっともっと意味あることがしたい。

言葉にすると本当によく耳にする言い回しになってしまうけれど、

・今目の前にある、まさに必要とされることを何でもこなせる
・今の体制では手薄になってしまう、けれどもみんな必要と思っていること部分の仕組みを一から(とは言わなくても「自分がやったった」って言えるくらいの貢献度で)作りたい
・特定の分野と、逆に誰もやってないけど誰がやるといいやろう?みたいなときにアイツや!って声かけてもらえるようになりたい

という姿を目指したい。

「自分はこういう分野をこう作りたい」は、上みたいな姿勢で取り組んだ末に特に力を発揮できる分野として見つかればいいし、足りないことを分析して課題としてまとめ、それを「技術」で解決していける人みたいなポジションも素敵。

技術的な視点(実装まで考えられてはじめて具体的に判断できるような視点)で組織を見て変えていくことができるみたいな人もいたら役立てるのでは。

目の前のことに没頭できる(没頭できることに取り組むことができる状況に身を置いた)からこそ、その先にどういう価値を生み出すべきかは引き続き考えて実践していこうと思います。

思い通りに進まなかったり、自分が触っている部分・技術はどれだけ局所的なのかだったり、周囲を見回したり、なんやねん自分って腹立たしい毎日やけど、エンジニアリングも会社もほんとに楽しいのでどないかなると思います。

27歳はCTOが起業した歳でもある。

音楽編

2年半ぶりのミスチルのアルバム、久々に観に行ったライブで、やっぱりミスチルはバンドでやりたい!という思いが強まっています。

REFLECTION、すさまじい完成度。

音楽面でもこの1年で大きな変化がありました。

ミスチルという呪縛の向こう側にある音楽

無理に高い声を張り上げるのをやめることで秦さんの歌を歌う。

そして、新しい歌い方でまたミスチルを…というところに差し掛かっています。

新しい歌い方だとどうしても弱々しくなってしまうので、それをなんとかしつつ、曲毎に調整していきます。

年末までに5曲(ミスチル)、さっと歌える引き語りのレパートリーに追加できていたら最高というところでしょうか。

ピアノ

たまたま歌・ギターを練習するブースにピアノがあったので数年ぶりに触ってみたらとても気持ちよかったので、寝る前とかにヘッドホンつけて触るようになりました。

年末には1曲引き語りでライブ出れたらと思います。

あと、久石譲の曲、1曲しっかり弾けたら最高ですね。

ルームシェアのこととか、たまには旅したいとか、改めて奈良の家族大事にしたいとか挙げればきりがありませんが、機会があればまた今度!

奈良に帰ってます。

20150329

春の日差しにふと地元の堤防の桜を思い出し、何年親と一緒に見てないんやろう…と思ったら悲しくなりました。

奈良を飛び出して東京に出たのは小6のときによくわからずもなぜか目指した「官僚」になるためで、方向性をあれこれ変えた今となっては東京にいる必然性がほんとにない。

でも刺激的な意味での居心地のよさから居座っているという。

一方で一人っ子な自分を親は大好きなわけで(自過剰)、GWとお盆と正月にちょろっと帰るだけ。

帰れるときはもう少し帰ってもいいのではと改めて思った次第です。

駄菓子菓子、実際家族で花見とか改めて行ったことなんてないかもしれない、というオチ。

近況報告

昨年末で2年半くらい勤めた会社をやめ、営業をやめました。

そして今年の頭からエンジニアとしての道を歩み始めました。

SIer企画営業をやめ、クラウド会計ソフトのfreeeでエンジニアとして働きます
We' re hiring!

それ以来、社内的には振り返ってはいるものの、社外に対しては直接会わない限りは話せてないし記事も書いてない!

ということで近況報告も兼ねて何かしら書いておこうと思います。

まだ働いています

結論、元気に(多少体調を崩しながら)働いています。

まずは1ヶ月。本当の意味での「試用」期間があまりにもアレなら2ヶ月目以降は無いということで働き始めた1月。

開始3日目。コードまったく書けない!やばい!ということで、このままではアウトですという旨の面談を冷や汗をかきながらしていただいたのは生々しい思い出です。

趣味で動かすのとは違うのだなぁ…という感触以前のレベルでプログラミングできなくて絶望したものの、丁寧にご指導いただいたお陰で1ヶ月でクビという事態は免れました。

じゃあ、なんだかんだエンジニアとして認められている?

1ヶ月をなんとか乗り越えないといけないんですよ〜みたいな話を転職前によくしていました。

その1ヶ月を過ぎ、晴れてエンジニアの「一員」として認めらたら報告でもしようか〜なんて思っていました。

駄菓子菓子、それはまだ至ってません。今度は6ヶ月。一人前のエンジニアになるまで闘争は続きます。

もっと必死に

がんばってないこともない。けど実力は無いし、成長速度もまだまだ。

日報書く時間もコード書いたり、ソースコードを読んだり、プログラミング関係のインプット・アウトプットに充てるようになりました。

たまに前よりは書けるように、読めるようになったかもしれない、と思うことはあります。

けどそれって、不合格ライン内で手数が10点なのか、20点なのかっていうレベルのことです。

基準は別のところにあるし、それがないまま成長だ一人前だ言ってても終わりないですよね。

チーム開発に貢献する

貢献のしかたはいろいろとあります。

その中で真っ先に高める必要があるのは直す力です。

バグが何1つ無い完璧なソフトウェアはないし、スピードとクオリティの兼ね合いで妥協して作ることもある。

それを(実は異様に根深い渡河でない限り)1日2〜3個くらいは少なくとも自分の中で問題が解消された状態にもっていってレビューに出す。

現状、ものによっては1日かからないものもあれば、2〜3日かけてもよくわからないものもあるという状態です。

ちゃんとできるようになるためにはこういうことが素早くできるようにならないといけません。
○既存のコードの動きを追えるようになる
・問題のある事象を再現させるための環境を作る
・ツールを使って問題となっている箇所を特定する
・自分の力で試せる部分が尽きたら助けを求める(★1)

○解決策を調べる
・エラー内容をググる
・実装方法何個か並べていいのから試す
・自分の力で試せる部分が尽きたら助けを求める(★1)

○正しく動く状態にする

・無駄にSQLが発行されてないか調べる
(・動作が遅くないか調べる)
・テスト書いて動かす(★2)

今遅れを作っているのはどこか考えた時、★が特に遅い気がする。

つまり、
・もうこれ以上自分の力では無理だ!ってなってからもなかなか人を頼れない。
→なかなか人に頼れず更にもがいて何とかなるパターンもある。駄菓子菓子、時間の制約もあり、1から10ま自力ですることが目的なのではないので頼るべきところは頼る。はやく!
(実際聞いたらすごく丁寧に教えてもらえるし、分かりやす過ぎて感動する。)

・最低限のテストを書くにしても、データ作りに手間取ってしまう。モック・スタブでとりあえず返ってきた値を活用する程度でよいことがあったり、テスト用データの雛形の一部を書き換えたら済むみたいなことがあったり。複雑にするのが目的ではない。大慈寺な部分をはやくおさえる!

今見つめ直す基本の写経

あまりにいろいろと不安になり先輩にいろいろ相談してみたところ、
・写経良い
・リファクタリングうんたらの本とかまだ手つけなくてもいいのでは
・試せ!とにかく試せ!
というシンプルな解をいただきました。

読書とか勉強とか好きで、あれやこれやとへーとかほーとか言いつつ、勉強してる風になっていてでも力ついてないみたいな場面けっこうあったかもしれない。

そういうわけで、いったん『リファクタリングRubyエディション』を読んでなるほどと思える部分までを終え、Railsチュートリアルと『パーフェクトRuby on Rails』を読み書きしてます。

特にチュートリアル。入社前の課題で、3〜4日でやんないとクビになっちゃう!みたいな意識でとりあえず一通り動かしたものの全然理解してなかった。

そして今読み直してもなるほど!って思える部分が多い。

・機能の足し方
・リファクタリング(共通の部分切り出すとか、切り出したのを元の箇所で動くようにするとかシンプルな類)
・テストの書き方・書くタイミング
・テストを助けてくれるツールの使い方
・認証とか認可とかセキュリティとか共通して必要になる概念と共にシンプルな実装(実例)に触れられる

基本 = 簡単ではないのはよくあることだし、少なくとも元々自分が書いていたプログラムよりは網羅的で綺麗で人が読んで足せる(意図が把握できる)コードになってます。

そして以外と「あ、これ今書いてるあの部分にそのまま使える!!」みたいなことが多い。

あと、図書を管理するツールを直そうとしていて、そのまま使いたい部分がけっこうあったり…

『パーフェクトRuby on Rails』の方は、
・なんとなく実物を追えるようになってきたのでなんでRailsってそういう設計になってるんやっけ?みたいな部分を追いたい
・これ実装してみよう!みたいな部分のレベルがチュートリアルと業務の間にあって精神的に良い

とかがよくて読み書きしてます。

最近読んだ本にも、7、8割大体理解できていて残りを足すくらいがいいんじゃね?みたいなことが書いてあって、学ぶ対象としてとてもしっくりきています。

試すことについても、pryというツールを教えていただいてからは試したいところでサーバを一旦停止して書いてみる、ってのだったり、これ解決する方法こんだけパターンあるなぁ…というのを実際にパターン別に試してこれがいい!(意図が伝わりそう、テストシンプルに書けそう)というのを決めたり、色んな粒度で取り組んでます。

不安、とは書きつつも定期的に面談してもらったり、こういうことも考えとかなくちゃね!というヒントを日常的にいただいたり、いざというときには話を聞かせてもらったり、CSSおじさんが颯爽と現れてくれたり、迷える子羊を放っておかない組織・方々です。

文字にしたら注力すべきこと・気をつけることの焦点が合ったのでめでたしめでたしです。

ほんとはもっと
・今の会社ってこんな雰囲気で~
・こんなところが好きで~
・好きなことを仕事にしてみたら実際どうか
・好きなことと得意なことが重なったらいいなぁ
とかとか書きたかったんですが、それはまたの機会に!

さいごに

4月からの体制図に自分の名前なくて、泣きそうになって探してたらNyanchuって書いてあってどんな顔したらいいのかわからなかった話はどうでもよいです。

先週くらいに体調崩してしまい休んだし、原因よくわかんないし、まだなんだかんだよくなってないしで、療養しに実家帰ったみたいなところがある。

物理的によく休んだのもあるけれど、改めてめっちゃ大事に育ててもらったなぁと思うことがあって、その恩を返したり、人(自分と関わる人)を大事に(優しく)するには必要コストとして自分を労るのも大事だと感じました。労る。それで気持ち的にもちょっと楽になりました。

長距離走のようで、近めのなゴールを意識的に定めた短距離走の繰り返しと思っているけど、それに耐えうる装備とメンテはやらないと結局無目的にゴールの遠い長距離走と結果変わらなくなってしまう。

それはダサいし、そうなるならわざわざこの道選ばない。

闘争は続く。

We' re hiring!