今日ほんまあかんわ。そう思って昼過ぎまでボケっとしていた。たまにはそういうのもいいのかもしれない。
そんな日は音楽に浸る。
最近引っ張り出してきたキーボードはイヤホン繋げるので打鍵音くらいしか漏れないし、聴くのは聴くので気持ちいい。
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いつもはですます調で書くけども、それは文章と自分との距離感を保つためで、人に読んでもらう文章をそうであると意識しながら書くため。今日は思うところに より近い言葉で文章を書きたい。
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音楽を長いこと続けている。3才くらいにピアノを習い始めてから、ブランクのようなものや、楽器が変わったり変遷を経て、働き始めたら演奏はやめるかなぁと思ったりしても、それでも日常の中に音楽があり、その音楽のほんの一部を楽器で、自分の手で、自分の声で、けれども人の言葉で続けている。
なぜだろう。
学生のときに入っていらサークルがなんでどうしてなんのためみたいなのがうるさかったので、それを音楽に引っ張ってきて考えることもあった。
mixiとかの日記でも残ってると思う。
そのときはそのときなりに形にしてるんやろうけど、きっと腑には落ちてない。落ちたことにはしている。
今日、先に音楽を続けるということなんてタイトルを先につけて書き始めたものの、着地点は全く見えてない。
だから小見出しはないし、結論的なものはないまま文章が終わってしまうかもしれない。
それでも、自分が飽きっぽいということは置いておいて、20年以上物事を続けるのには何があるのか純粋に面白いのでぐだぐだ書いてみたくなった。
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今日はミスチルの写真展に行ってきた。
ミスチルの写真展て…
ライブを観る、音楽を聴く。その対象が写真になったところで見に行くことに何の意味があるんやろう。
そう思いながらも、1日中家の中にいるのもなんか癪なので取り敢えず唾棄すべき山手線に乗った。
実際に写真撮った人が会場に来ているらしい。自分にとってはそれほど重要ではない情報だった。
会場を廻ってみると、ライブだったり、リハーサルだったり、ツアーだったり、ライブの名前を冠した写真がたくさん飾ってあった。
行ったライブはそのときのことを思い出し、行ってないライブも、そのセットリストを見たり思い出したりして、自分がその曲をバンドで演奏したときのこと、その曲をよく聴いていたときのことを回遊する。
じんわりと楽しかったことなり、しょっぱかったことなり、胸がきゅっとなることだったりの中に心を置くのはくすぐったいときもあるし、悲しくなることもある。
でも過去志向、結局は虚しい。でもでも、過去に想いを馳せるのにとどまらず、もう一度やってみたい!だったり、あのしょっぱい想いは二度としない!だったり、先を見据えることができるなら気持ち良い。
音楽をするというのは、過去に身をおきながら未来に向かって精一杯走ることの気がしてきた。
音楽自体が人生の主線を占めない場合において。
1つ1つの音楽には差こそあれ、記憶、臭い、まぶしさ、蒸し暑さ、悲しい気持ち、はらわた煮えくり返る悔しさがその音楽の内、外つまり自分を含む環境が織り込まれている。
織り込みながら人生を過ごし、音楽から取り出す。
そしてまた織り込み、ただただ繰り返す。
それならただ聴いてればそこで完結しそうなもんだ。それ以上に、演奏をやめないのはなぜか。
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たまたまミスチルのイノセントワールドを聴いて全てが始まった。
テレビに釘付けになった。
ここまで音楽で衝撃を受けたのはそのときと、初めてミスチルのライブに行って桜井さんが目の前に現れた瞬間(こっちは「音楽」ではない…)くらい。
しばらくして父親からアコギを譲り受けた。
数ヶ月後、いとこの結婚式でミスチルの抱きしめたいを引き語った。
かっこいいか、心地いいか、なんなのかよくわからない衝動に突き動かされて、歌とギターを始めていた。
音楽を続ける、ということについて想いを巡らすとき、いつもこの場面が頭をよぎる。
最近は感情を揺さぶる、琴線に触れる、そんな音楽をやりたい(やらないと意味がない)思いを強くしているものの、その場面の、感情よりももっと奥底にあって自分を突き動かしたもの、本能なのかesなのか、そういう原始的なものが在る気がしている。
音楽を自分から放出することで、その原始的なものをより感じることができる。
ただし、自分の中ではな!みたいなところがある。
過去の音源を聞き返すと、たいてい自分の部分は気分が悪い。
自分の中では気持ちいいはずなのにすごく聴いていて耳障りだ。イヤホン引きちぎりたくなる。
バイブスとか、グルーブ感とか、エモさとかは最低限の技術・品質の上に生まれるもの。
原始的なものの何歩も手前で長年躓いてきた。
けど、原始的なものをこの手で…!
音楽を聴くと、ライブに行くと、その原始的なものに触発されるから一時離れても戻ってくるんやと思う。
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昨年12月くらいに、自分の練習音源を聴いて初めて「これ、それなりによいのでは」と思える歌があった。
これまでとは違う歌い方を教えてもらい、あれこれやってもしょうがいないと思ってひたすら1曲練習した結果だった。
そのライブの後、同じ人の別の曲を練習して半年。また、「これ、それなりによいのでは、前の曲に完成度達してないけど…」みたいな状態になった。
出来心で母親に送ってみたら、よかったらしい。高校のときに気持ちよく歌っていた歌(たち)を酷評されてよくイライラしていたのでくすぐったい。
ただ、それは肉体・技術的に自分の中で納得したというだけで、曲に思いまで乗っていない。そこはつめていきたい。
原始的なものの手前に、人の感情がある。自分で書かなくていい、書けないけど、移入できる歌を歌いたい。
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これからいよいよ本戦が始まる。
次はミスチルの曲に戻ってくる。
秦さんの曲で1年間新しい歌い方を学び、いよいよその歌い方でミスチルを歌う。
秦さんの曲をアレンジしたみたいに、ミスチルを「自分が」歌う。
自分が歌って意味のあるように歌う。
12月のライブでは、スタンウェイのグランドピアノでミスチルを1曲引き語る予定。
上の1行は言いたかっただけ感があるけども、このライブでやる音楽もまた自分にとって大事な大事な音楽になるんやろう。
この過程は本能であり、生きてゆく勇気であり、研鑽の先に喜びを見出すことであり、他の大事な全てのことに通ずる。