音楽をやって、ライブに出て、無性に文章が書きたくなりました。
ブログを書く、アクセスの多い記事を書く、SEOみたいなものを意識する、結論。伝えたいことありきのビジネスライクな表現形式をなぞる、それとは何か違う、自分の胸の内からわき起こる何かをそのまま文字として形にしていく、そんな文章が書きたくなりました。
だから小見出しとか、伝わる構成とか読み切れる長さとかは無視します。
ただ、最初に1つだけ言いたいのは、「ミスチルという呪縛」というのはMr.Childrenの音楽性云々の話ではなく、自分とミスチルの音楽の関係性を捉え直すことで見えてきた素敵なことがあったというお話です。
今でもミスチル(のイノセントワールド)は僕がギターやバンドを始めた原点で、とても大切な存在です。
自分が音楽をやるということ。これはある種生きることに対する表現、自分が生きていることに対する表現です。
僕は人生の伴侶として、旅、音楽、読書を掲げています。
(ただ、これは今後少しバランスを変え、今までとは異なる形になりそうです。)
そもそも、旅!楽しい!!生きる楽しみや!!!って思い始めたのは、大学の卒業旅行で、trippieceを使ってペルー・ボリビアに旅行したとき。
trippieceで行くペルー・ボリビア11日間の旅 ~6日目 ついに到着!ウユニ塩湖~
本だって、今こそ本棚にあふれるくらい本に囲まれているものの、大学4年生くらいまでは年に1、2冊読むか読まないか程度で、本とは完全無縁な生活を送っていたものです。
ただ、音楽は常にそばにありました。旅・音楽・読書の中でも異質です。
きっかけは全く覚えていませんが、3才からピアノを始め、センス的なものは無縁に発表会直前には狂ったように練習を重ねて何十人?百人以上?の前でクリスマスに本番を迎える。
中学受験のため、ピアノからは離れるものの、中学でははじめてカラオケに行き、中3でMr.Childrenのイノセントワールドに衝撃を受け、高1にはアコギを始める。文化祭ではバンドも組んで歌う。
大学でもずっとバンドサークルでギターを弾き、歌う。
社会人になっても会社でバンドサークルに入り、その傍ら歌とギターを習い始める。
そして今では、バンドサークルには全然参加できていないものの、歌とギターを習い、そのスクールでのライブでは毎回1〜2曲演奏しています。
音楽を続けると言っても、音楽との距離感や位置づけはそのときそのときによってまったく異なります。
ピアノをやっていた頃はよく覚えていません。とにかく発表会で弾くことへの執着というか、単に多くの人から注目される、スポットライトを浴びて、ただ自分1人に視線が集まる異様な空間への中毒みたいなものでしょう。
今よりは幼い頃なので、もっと意味的なものの外にある感覚的なものです。
中・高・大の音楽はシンプルにミスチルへの憧れだったように思います。
イノセントワールドを聞いて受けた衝撃を…衝撃に対してどうしたらいいかわからず、ただひたすら追いかけていたように思います。
その曲が好きであることと、それを歌っている人に対して憧憬の念を抱くことと、それを自分がやることはきっと重なる部分もそうでない部分もあると思いますが、やっぱりよくわかりません。
ただ、その憧れを自分が(自分たちが)やるのは他のバンドの曲を演奏することとは違くて、やっぱり楽しかったなぁと思います。
でも、憧れだけで、なるべくそれっぽく歌おうとすること、なんとなく感情をこめてそれっぽく歌おうとすること。
これには二段階の難しさがありました。
そもそも、高い声が出ないということ。
無理に真似をしようとしてもただただ醜く、聞いてくれてる人までしんどくなる。少なくとも録音を聞いた自分は。
そして仮になんとなく通る演奏があっても、それ以上にならないということ。
そんなこんなで、憧れで追い続けてきた音楽はコンプレックスとの対峙の歴史でした。
大学を出て働き始め、音楽、どうしようと思ったとき、まずは物にならなかったということと、当時喉も壊してしまっていたこと、旅や読書という他の楽しみに触れていたことからもういいか、なんて考えていました。
しかし、夏のAP bank fesでミスチル櫻井さん率いるBank Bandの演奏を聴いて、いても立ってもいられなくなり、やっぱりやろうと。
そして、どうせやるなら、自分のコンプレックスと根本から決別しようと思い立ち、スクールに通い始めました。
それでも!時間もお金も投資しても!!ミスチル歌えない!!!というのが最初の2年は変わらず。
が、3年目、2014年度には徐々に変化が。
2014年4月のライブ。
ギターソロ付き完全にオリジナルのなごり雪と、弾き語りアレンジのFunny Bunnyは自分で聞いても今までとは少し違う感じに聞こえます。
なごり雪は2回本番のライブでやったこともあるし、音域的にもそこまで辛くないし、伸び伸びと演奏できました。
Funny Bunnyも歌詞がそのとき考えていたことと重なる部分があって主体的に選びました。アレンジも共感できる歌詞が届きやすい形にしたことで演奏だけでなくその音楽・歌詞に乗った本当に自分が共感したものへの言及、少しは届いた感もありました。
ライブ後。それまではミスチルの歌を練習曲としていたのですが、本当の意味で「憧れ」の曲。秦基博さんの鱗という曲に挑戦してみることにしました。
素で歌うと100%サビが歌えない曲。1人でカラオケに行くときですら自分で歌う気にすらならない曲を敢えて選びました。
ちょっと単純ではありますが、この曲が歌えたら自分が今まで縛られてきたものほぼ全てから解放されるという淡い期待があったんです。
声の出し方が変わり(ミックスボイスという出し方に変えないとそもそも歌えない)、その歌い方で他の曲も歌い切ることで「ミスチルたれ」「ミスチルの通り歌えてなんぼ」という世界とは「違う」音楽に出会うことができる。
そして迎えた12月のライブ。
転職活動や諸々で中断せざるを得ない時期もありましたが、鱗1曲にこだわったこの半年。
たぶん今まで自分の演奏から出てきたものとは違う音楽になったような気がします。
自分で聞いていられる範囲だし、これまでの歌い方(技術)だと到底無理だったはずの曲を1曲通して人に届けた。そして既存の曲を素材として、「コピー」「音符の連続」ではない「音楽」に触れられた(気がする)。
その事実が自分にとって何より大切で、これからの自分の音楽を届ける第一歩です。
たったの1曲。5分足らずの1曲にこれまでの音楽との決別のこれからの音楽のすべてが詰まっていました。
自分の音源を何回聞いても聞いていられる、というのは今までほぼなかったです。
1曲をひらすら練習することが他の曲の改善になるとは限らないのはまた事実です。
でも、また違う形でミスチルの音楽に触れ、自分がミスチルをやることの意味が生まれるかもしれないと思うとわくわくします。
「ミスチルという呪縛」なんて言うとミスチルが悪者のように聞こえてしまいますが、そうでなくて、呪縛を作っていたのは自分の音楽に対する向き合い方で、これからはもっと1人の音楽をする人として向き合えそうということです。
これまでの柱としてきた旅、読書、音楽は再構成せざるをえません。
何となく距離感のあった仕事がなんだかんだ生活の大半を占める中での、別腹としての「人生の伴侶」。
それが、転職をきっかけとして、エンジニアとして生きることでオン・オフの境はなくなります。(予定)
読書はより技術書指向になって付き合い方は変わり、旅は…どうなるのでしょう。
それぞれの付き合い方は考えていますが、音楽は結局離れないものと感じました。
というのも、今回のライブと『ハッカーと画家』という本を読んでどうしようもなくモノが作りたくなったり、この文章が書きたくなったり、考え事をしたくなったりしたからです。
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目の前にあるものこそが正で、自分がそれに合わさなければならない。その通りにできないのは自分に非があるし、できるまで訓練してできるようにならねばならない。そのようになるにはどうすればいいか考え、正面から乗り越えるべき。
義務教育の中で自然とこびりついた思考様式は音楽にまで表出して、足枷となっていました。
月並みですが、それは完全にモノ作りをやっていく上でも陥ってはいけないことのように思います。
思いや価値を実現する手段としての技術は高いに越したことはない。
けれども、その技術に固執して得られる物は本当に価値あるものか、本当に実現したいことは何なのか。
そしてあるやり方に詰まったら他の技術を試すことは「悪くない」こと。
正面突破して身に付く技術も大事だし、初期は特に四面楚歌的にエラーに出会うかもしれないけれど決めつけないこと。
本で言うハッカー(自分が「(ソフトウェア)エンジニア」と呼んでいる人たち)と画家に加えて、音楽という活動に携わることで生まれる発想も本当に大事にしたいと思うんです。
エンジニアとしての活動にフルコミットして何もかも生み出せるに越したことはないかもしれません。
でも、自分がこの人生を歩んで来たからこそ生まれるものは価値の源泉。
音楽の道を行けば食っていけるという逃げ道ですらないからこそ続けていきます。