trippieceのCEO、石田言行(いしだ いあん)が本を書いたと聞いて、本くださいとお願いしました笑
というわけで扱い的には生まれて初めての献本。
僕はこの本で言う2012年2月の「trippiece」の成功を決定付けた旅からのユーザで、その体験があまりに刺激的で、鮮明で、楽しくて海外旅行に行くようになったユーザだ。
なので、この本でもメインテーマとして描かれている名前の由来(とそこから導かれる信念のようなもの)は直接聞いたりブログ(旧/新)で読んだりしてた。
それでもやっぱり知らないことがたくさんあって、ユーザには見せず乗り越えてきたたくさんのことや思いに触れて、本の向こう側にある心境を覗いてみると自然と目頭が熱くなってきた。
そういう本を紹介するとなると過剰に力んでしまってうまく言葉にできないかもしれない。
だから最初に結論を書いてしまうと、20代は負けでいい。新しいことに挑戦し続けよう。多くの人にとってたりない才能とは「高い目標を立て努力を続ける才能」で才能を埋めるための魔法のような言葉が「言行一致」であるということ。
僕が書いたところで文脈が全然違うものになってしまうが、石田言行がどんな男で、どんな思い出、どんなことを成し遂げてきてきたのか。それを知りながら読み進めれば上の言葉はきっとあなたの胸に響き、挑戦しなかった過去を悔い、新たな一歩を踏み出すことになるでしょう。
紹介はここまで!後は本の内容を紹介しつつ、自分が感じたことなどを書いていきます。
trippieceのこと
最初に触れた通り、僕は2012年、trippiece2周年直前くらいからのユーザです。
初めての旅がペルー・ボリビア1週間の旅。
5年間の大学生活の終わり、卒業旅行。どっかめっちゃ遠いとこ行きたい!と思っていたらtwitterでtrippieceとかいうところが40数万円で南米まで連れてってくれると。
でもヤバい!締め切り翌日!夏に親に借金して留学行ったばかりで貸してとか言えないし、1日で40数万円どうやって集めよう…という嘘のようなホントの話がスタートでした。
そのときのブログ(旧)、1日目。
trippieceで行くペルー・ボリビア11日間の旅 ~1日目 豚になったような気分~
言行のブログにも伝説の社畜を目指すすぎちゃんとして紹介されている…笑
このツアーは2回に分かれて行われ、僕はたまたま言行と一緒の組でした。
学生とは思えない落ち着き、交渉力、しかも社長!?この人すげーと思いながらただただお世話になりました。
どんな思い出そこにいたのか、知る由もなかった…
ちょうどその旅のこと、鮮やかに本に描かれてたのでそのまま載っけます。
参加者は34人。初めて「trippiece」として20人以上を集客することができた。34人を2つのグループに分け、ひとつに僕が参加し、もうひとつのグループにブラジル・スペインに留学経験のある友達とチリで育った友達が参加してくれることになった。
約2週間を見ず知らずの人たちと過ごすことになる。成田空港に5時間前に入り、ドキドキしながらほかの参加者を待っていたのをよく覚えている。ましてや行ったことのない南米だ。
アメリカを経由し、ペルーのリマまでほぼ丸1日。アメリカのトランジットで時間がギリギリになり、ダッシュするトラブルがありつつも、リマに着いた。到着した日はすでに遅かったため、ホテルにチェックインをして就寝。早朝に眠い目をこすりながら、マチュピチュに行くためにクスコという街へ飛行機で向かう。1時間ちょっとも経つと、険しい山々の合間に、街が出てきた。上空から見ても、きれいな街並みだった。クスコはインカ帝国の首都で、世界遺にも登録されている街である。特に、夜の街灯が照らす街の景色は最高にキレイだった。
次の日、いよいよマチュピチュに向かう。インカレイルという列車の駅があるオリャンタイタンボという街まで四駆で1時間半くらい荒れた道を走る。みんなは連日の疲れで爆睡。寝ているうちに、オリャンタイタンボ駅まで辿り着いた。
駅に着くと、マチュピチュに向かう人たちで賑やかだった。日本人も少なくはない。全体の2割くらいが日本人だった。さすが、行ってみたい世界遺産ナンバーワンを獲り続けているだけはある。
インカレイルは予想以上にきれいだった。列車の屋根もビスタドームといって、一部がガラスになっていて、360度の景色を楽しむことができた。車窓から見える渓谷や行商やトレイルをしている旅人たち。約2時間の鉄道の旅は、みんなでお菓子を食べて、お酒を飲みながら過ごしていたらすぐに過ぎていった。マチュピチュが近づいてきた。
マチュピチュ村に着く。もっとなにもないところかと勝手に想像していたが、こじんまりとはしているものの観光客向けにたくさんのショップが並んでいた。マチュピチュには、麓の村からさらにバスで30分ほどかかる。落ちないかとヒヤヒヤする、バス2台分の幅もない道を登っていく。思わず手すりを強くにぎる。次の瞬間、マチュピチュの姿が見えてきた。見えた瞬間、バス中に歓声が沸き上がった。頂上に着き、入り口をとおると、インカ帝国の遺跡が目の前に広がっていた。写真で何百回と見たマチュピチュが広がっていた。
クスコの街並みにもすごく感動を覚えたが、マチュピチュはここまで来た苦労も重なり、感動は倍加した。みんなが思い思いに写真を撮った。そして、この旅の終わり。数日後、「死ぬまでにいきたい絶景」として名高い、ボリビアのウユニ塩湖に辿り着いた。待ちに待った絶景が目の前に広がり、涙する。各々、旅行前に考えていたポーズで写真を撮る。美しい景色がどんな写真をも見事な1枚にする。
この1年の苦労が報われた気がした。自分のサービスを使って、地球の裏側まで、ユーザーと一緒に行って、こんなに楽しむことができるという幸せに浸った。
ちなみに前の日程で出発したもうひとつのグループは、僕の参加しない初めての海外ツアーになった。正直、集まってうれしい以上に、なにか起こったらどうしようと不安ばかりが募っていた。
しかし、心配は杞憂に過ぎなかった。多少のトラブルはあれど、12日間の旅が無事終わった報告を受けた。twitterで「 trippiece」と検索すると、「旅はだれと行くかだね。めちゃくちゃ楽しかった。どうにかなってしまいそうでした」「みんなで共有できたことがなにより最高だった」といった感想にあふれていた。
それまで、耐えに耐えてきた想いがあったのだろう。気づけば頬には涙がつたっていた。しばらく、涙ばかりがあふれてきた。ここまで起業して約1年。うまくいかないことばかりだった。僕の伝えたいことが伝わって本当にうれしかった。
この直後に書いてある、「もっとも大事なことは、目にした絶景ではなく、だれかと共有し、感動した体験なのだ」という言葉。ここにtrippieceの魅力が凝縮されていると思います。
初めてではあれ、同じ目的を持っていた人が集まり、旅へと出かける。
初めましてで始まり、また飲もうなで終わる旅。
絶景はもちろん素晴らしい。一人旅も悪くない。それ以上に常にハイでいられる仲間と乗り越えていくトラブル笑とか、そういうよくわからんものが何より楽しい。
僕は高まると文章を書きたくなるので、毎晩毎晩ブログ書いていました。
人生の中でも最高級の旅の思い出でした。
そういう旅ばかりと思いきや、バンジージャンプ、スカイダイビング、カラーラン(にみんなで一緒に行く)等々、1日から気軽に参加できるアクティビティも充実しています。
言行のこと
そんなtrippieceを率いる石田言行(いあん)。誰もが最初は変わった名前やな〜と思うと思うんです。
そこに込められた並々ならぬ想いに触れると名前が愛おしくなります笑
" target="_blank">ブログの方から拝借。
言行へ
パパとママは、キミがどのような思いをこめて「言行」と名付けたのか。将来、これを読んでくれることを楽しみにして、生まれたてのキミに書き記すことにしました。
キミの名前は、パパがつけました。それは、キミがまだおなかにいるときに、生まれてくる子が男の子だったらパパが、女の子だったらママが名前をつけようと決めていたからです。(ちなみにママは、女の子が生まれたら「未来」(みく)と名付けるつもりだったようです)(パパは、絶対に男の子が生まれてくる、と確信していましたし、熱望していたのです)
では、パパが「言行」と名付けた理由をこれから話しましょう。パパはまず、名前を考えるにあたって、3つの基準を持っていました。それは、①とにかく人と違う名前であること(いうまでもなく、名前はいちばんの個性ですから、目立つほうがいいと思っていました)②外国人も呼びやすい、インターナショナル名前であること(キミが外国にいったときに覚えてもらいやすいように)③そして、名前に意味があること(単なる当て字や語呂合わせで意味のないものだけは避けようと思っていました)
以上の3点です。そして、これらの基準は別にして、パパは、男だったらこうなってほしいな、という理想像を頭に描いていました。それは、“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。実は、キミの名前が決まってのは、この“男の理想像”を考えていたときでした。
ふと頭の中に、とつぜん、パパが子供のころに好きだったテレビ映画『0011/ナポレオン・ソロ』のふたりの主演俳優―ロバート・ボーンとデビッド・マッカラムの顔が浮かんだのです。そして、このふたりの俳優を思い出した次の瞬間に、キミの名前は決まりました。
「イアン・フレミング・・・・・・。そうだ、イアンがいい!!」 イアン・フレミングというのは、イギリス人の作家で『0011~』をはじめ、有名な『007シリーズ』の原作者です。
『0011~』は、パパが3~4歳のころにやっていた作品です。なぜそんな幼いときの記憶があるかといえば、それはきっと、パパとパパのママが、当時ブームだった秘密情報員(要するにスパイ)が登場するテレビや映画が大好きで、一緒にみていたせいでしょう。だからこそ、イアン・フレミングという名前がすぐに思い出せたのだと思います。イアン―――いあん。瞬間的に、名前はこれしかないと思いました。
名前をつける基準と照らし合わせてみても、①の“人と違う名前”も②の“インターナショナルな名前”もクリアーしています。
なにより、パパが願う“理想像”としても、イアン・フレミングが自分の作品に描く男は『0011~』に登場するソロ、イリヤ・クリヤキン、『007』のジェームズ・ボンド――いずれも“優しくて、強くて、かっこよくて、女にモテる男”です。
こうして、「言行」という名前は、はじめに文字からではなく、「いあん」という音が先に決まりました。そしてその次に残る基準の④を満たす“名前に意味がある”文字を考えたのです。「言行」は「言」を「い」と読むのも、「行」を「あん」と読むのも、どの国語辞典を探しても載っていないと思います。しかし、どちらも当用漢字ですから、「言う」、「行脚」、「行燈」などと一般的に使われているように、決して無理な読みかたではありません。
でも、パパにとっては、辞典に載っていようといまいと、「言」を「言葉」として、「行」を「行動」という言葉の意味として、それぞれの文字が必要だったのです。
つまり、「言行」という名前は、「言葉と行動」という、パパが最も重要だと思っていることを、ひとことで表したものなのです。「言葉」について――。
いうまでもなく、人間は、たったひとりの力では誰も生きてはいけません。毎日の食べるものも、着るものも、勉強することも、スポーツを楽しむことさえも、他人の助けを得なければ生活することのできない生き物なのです。そのために、人間には、地球上の動物で唯一“言葉”を話す(会話)という能力ができたのです。
ですから、言行には、自分を支えてくれるすべての人との会話を大切にしてほしい。
会話によって、キミが相手に助けられることもあれば、キミが相手を助けることだってあるのです。相手が黙っていたら、キミはその相手を理解できないのと同じように、自分が言葉を発して意志を伝えれば、相手はキミの存在を確認してくれる、ということです。
要は、間違ったり、失敗することをおそれずに、キミの心の内を言葉として話してほしいのです。「行動」について――。
パパの座右の銘は、“前進なくして進歩なし。命をかければなんでもできる”というものです。これは、パパのパパから学んだ石田家の“座右の銘”でもあります。パパは、うまく事が運ばない時や、悲しい時など、いろいろな壁につきあたった時に、この言葉を思い出しては心の励みにしてました。
人間の心というものは、このような悩んでいる時には停滞しているのです。だから、何かを解決した、とか、壁を抜けだしたい、と思ったら、前へ前へ、と前進するのが、いちばんの方法なのです。そして、ひたすら努力をする。
人間、命をかけるほど努力をすれば、できないことはなにもありません。もしできないことがあったとすれば、それはまだまだ努力が足りない、ということなのです。
これは、簡単にはいえますが、実際はものすごくつらく、大変なことです。努力しないことへの言いわけは、自分自身でいくらでもつくれますから。でも、結果がすべて自分に還ってくるのも“前進”と“努力”です。
言行も、いつか壁につきあたったら、この言葉を思い出してください。そして、とにかく行動しつづけることを忘れないでください一九八九(平成元)年九月二十四日 記
変わった名前であるがゆえに小頃にはからかわれたり嫌なこともあったようですが、この上ないルーツ。
名前負けしてないとは端から見た感想で、本人はまだまだと思ってるっぽい。
いい意味で読者への挑戦的なメッセージが多いけど、その度に自分はそう言う資格があるかわからないけど的な入りで、それは群衆向けの言葉ゆえの配慮なのかもしれないけど、そういう面なんか彼らしくてニヤニヤしてしまいました笑
新しいことに挑戦し続けるということ
全体的にこの「新しいことに挑戦し続けるということ」に対して畳み掛けてくる。
これでもかってくらい笑
でも、それは自信の経験から出た言葉であったり、家族の思い出あったり、大学の恩師や先輩の言葉であったり、先輩起業家の言葉であったり、過去の偉人の言葉であったり。
でもやっぱり、言行自信のこの言葉が一番響くのでやっぱり引用したい。
今、どれだけあなたが負け続けていたとしてもかまわない。「大言」を掲げ、黙々と「実行」していくことを諦めなければ、起業家にだって、一流にだって、なににだってなれる。最後には、勝てる。負け続けている僕自信も、そう信じている。
多くの人にとって、足りない才能とは、「高い目標を立て努力を続ける才能」だと思う。そして、その才能を埋める魔法のような言葉が「言行一致」という言葉なのだ。
これだ。ほんとにこれだ。
人生はなにもしなければ、当たり前だがなにもない。つまり、意味付けしなければ、無目的なのが人生だ。
人生を賭けるのに値するのは夢だけだ
僕は転職して、小さい頃言ってたのと全然違う、大学の専攻とも微塵もかすらないプログラマーになった。
サービス自らの手で生み出すエンジニアかっこいい!俺も何か作って世界変えてやんよへへん!みたいな思いからだ。
とはいえ、最近は中高生でも尖ったプログラマーは相当数いるし、基礎・学のあるプログラマーとかインターンでも足元に及ばない…
そんな中思っていたよりも成長が速くないし、仕事でやる以上優先すべきこと(分野)もあるし、けっこうしょっぱい。不安にもなる。
それでもどうにかしてやるという勇気が湧きました。
無難に着地させようとしたら失敗もないのかもしれないけど、成功もない、なんでもないような20代を終えてしまう。